東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)149号 判決 1991年3月27日
原告 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 小林亮淳
同 小部正治
被告 新宿税務署長 大井章列
右指定代理人 浅野晴美
<ほか四名>
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五五年三月一五日付けで原告に対してした昭和五一年分以後の所得税の青色申告承認取消処分を取り消す。
2(一) 被告が同日付けでした原告の昭和五一年分所得税の更正(ただし、異議決定により一部取り消された後のもの)及び過少申告加算税賦課決定(ただし、当初は重加算税賦課決定であったものが異議決定により過少申告加算税に縮減変更された後のもの)を取り消す。
(二) 被告が同日付けでした原告の昭和五二年分所得税の更正のうち総所得金額を一九六万九四九六円として計算した額を超える部分及び過少申告加算税賦課決定(ただし、当初は重加算税賦課決定であったものが異議決定により過少申告加算税に縮減変更された後のもの)を取り消す。
(三) 被告が同日付けでした原告の昭和五三年分所得税の更正(ただし、異議決定により一部取り消された後のもの)のうち総所得金額を七六万六三二二円として計算した額を超える部分及び過少申告加算税賦課決定(ただし、当初は重加算税賦課決定であったものが異議決定により過少申告加算税に縮減変更された後のもの)を取り消す。
3 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和五一年八月までは東京都新宿区《番地省略》所在の借家(以下「本件借家」という。)に居住して、同所で飲食店「洋食チェリー」を営み、同年九月以降は同区《番地省略》所在の原告所有の店舗兼居宅(以下「原告宅」又は「本件建物」という。)に居住して、同所で飲食店「レストランチェリー」を営み、また、昭和五三年五月から昭和五四年五月までは、右「レストランチェリー」と並行して、東京都中野区《番地省略》所在のレモンセンター内において飲食店「レストランオレンジ」を営んでいて、被告から所得税の青色申告承認を受けていた者である。
2 被告(昭和六二年六月三〇日までの名称は淀橋税務署長)が原告に対してした昭和五一年分以後の所得税の青色申告承認取消処分(以下「本件青色取消処分」という。)及び本件青色取消処分について原告がした不服申立て及びこれに対する応答の経緯は別表第一のとおりである。
3 原告の昭和五一年分、昭和五二年分及び昭和五三年分の各所得税につき、原告がした確定申告、被告がした更正及び加算税賦課決定並びに右各処分に対して原告がした不服申立て及びこれに対する応答の経緯は、それぞれ、別表第二の一ないし三のとおりである(以下、右各年を総称して「係争各年」と、右各年分の確定申告を、順次、「五一年分申告」、「五二年分申告」、「五三年分申告」と、右各年分の更正(ただし、昭和五一年分及び昭和五三年分の各更正については、異議決定により一部取り消された後のもの)を、順次、「五一年分更正」、「五二年分更正」、「五三年分更正」と、右各年分の加算税賦課決定(ただし、いずれも当初は重加算税賦課決定であったものが、異議決定により過少申告加算税に減縮変更された後のもの)を、順次、「五一年分賦課決定」、「五二年分賦課決定」、「五三年分賦課決定」と、五一年分更正、五二年分更正及び五三年分更正を総称して「本件各更正」と、五一年分賦課決定、五二年分賦課決定及び五三年分賦課決定を総称して「本件各賦課決定」という。)。
4 原告は、本件青色取消処分並びに五一年分更正、五二年分更正のうち総所得金額を一九六万九四九六円として計算した額を超える部分、五三年分更正のうち総所得金額を七六万六三二二円として計算した額を超える部分及び本件各賦課決定に不服があるので、その取消しを求める。
二 請求の原因に対する認否
請求の原因1ないし3は認める。
三 抗弁
1 本件調査の経緯等
(一) 被告は、原告の所得税に係る調査が長期間行われていなかったこと等から、原告の申告内容の適否について検討する必要を認め、被告所部係官の小野寺修(以下「小野寺係官」という。)に、原告の所得税の調査を命じた(以下、右の調査を「本件調査」という。)。
(二) 小野寺係官は、昭和五三年一〇月四日午後一時三〇分ころ原告宅に赴き、原告に調査のため訪問した旨を告げて本件調査に対する協力を求めたが、原告は多忙を理由にその場での調査に応ぜず、午後三時ころに時間が空く旨を申し立てたので、小野寺係官は、右時刻に再び訪れる旨を原告に告げて一旦辞去した後、午後三時ころ再度原告宅に赴いたところ、原告は不在であったため、原告の妻花子(事業専従者。以下「花子」という。)に原告の事業内容等を質問したが、花子は具体的な回答をせず、結局質問に応じなかったので、小野寺係官は当日の調査を断念し、原告宅を辞去した。
(三) その後、小野寺係官は、同年一〇月二六日に原告に電話して、同月三〇日に本件調査のため原告宅に赴きたい旨及びその際に原告の昭和五〇年ないし昭和五二年分の帳簿、原始記録等を準備するよう申し入れたところ、原告はこれを了承した。
(四) そこで、小野寺係官は、同月三〇日午後二時過ぎころ原告宅に赴いたところ、原告宅には、原告のほか、新宿民主商工会(以下「新宿民商」という。)の会員約二〇名が同席し、調査に立ち会う態度を示したので、小野寺係官は、右の状況から本件調査に支障を来すおそれがあると認め、原告に対し、右の者らを退席させるよう要請したが、原告はこれに応ぜず、右の者らは退席しなかった。
小野寺係官は、やむなく本件調査を進めることとし、原告の対し再三にわたり昭和五〇年ないし昭和五二年分の帳簿、原始記録等の提示を求めたが、原告は、具体的な調査理由の開示を求めるとともに、適正な申告をしているとして、右帳簿等の提示をしなかったので、小野寺係官は、調査理由として、原告については長期間調査が行われていないので、原告の申告内容の適否を確認する必要がある旨を述べ、また、所得税法一四八条に所定の青色申告者の帳簿書類の提示義務及び同法二三四条の質問検査権に対する納税者の受忍義務について説明し、さらに、原告の申告内容についても、原告宅の取得資金についての疑問点を指摘し、再三、本件調査に対する協力と帳簿等の提示をするよう説得したが、原告は前記の要求を繰り返すのみで、帳簿書類の提示に応ずる様子は全くなかった。
しかも、原告は、小野寺係官の調査に対し、常に語気荒く応対し、時折威圧的言辞を用いて調査の進行を妨げ、さらに、小野寺係官の手首を掴んで原告宅の外に引き出そうとしたりし、また、同席した新宿民商の会員も原告に同調して口々に発言し、騒然たる有様であったので、小野寺係官は、当日の調査の遂行を断念し、原告に次回は帳簿等を準備するよう依頼して原告宅を辞去した。
(五) 小野寺係官は、同年一二月一五日午後二時過ぎころ原告に電話して、本件調査の進展のため協力を求めるとともに、調査に当たり帳簿等を提示しないことは青色申告承認の取消事由となるので、帳簿書類を提示して本件調査に応ずるよう説得したが、原告は従前のとおりの理由を主張して本件調査に応ずることを拒否した。
(六) その後、小野寺係官は、昭和五四年一一月九日午後二時三〇分ころ、原告宅に赴き、原告に対し、昭和五一年ないし五三年分の帳簿書類の提示を求め、本件調査に応ずるよう説得したが、原告は、従前と同様の理由を繰り返して、右の要請を拒否し、さらには小野寺係官に危害を加えるかの如き気勢を示したので、小野寺係官は、危険を感じて原告方を退去した。
なお、小野寺係官は、昭和五五年二月二七日にも原告宅に赴いたが、前同様、原告に本件調査に応ずる様子は全く認められなかった。
(七) 右のとおり、原告の協力が得られないため、小野寺係官は、原告の取引金融機関である王子信用金庫落合支店(以下「王子信金」という。)に対し反面調査を実施することにして、他の被告所部係官とともに王子信金に赴いて協力を求めたところ、王子信金では、原告から、原告名義以外の原告関係預金口座を被告所部係官に見せた場合には、新宿民商の会員が王子信金に押し掛けて営業を妨害する旨告知されているとして、本件調査に協力できないとの返答があった。
(八) そこで、昭和五四年九月二六日、淀橋税務署副署長篠原忍及び統括国税調査官萩谷正止(以下、それぞれ「篠原副署長」、「萩谷統括官」という。)が王子信金を訪れ、支店長田中義紹(以下「田中支店長」という。)と面談して協力方を依頼した上、王子信金から退去しようとしたところ、乗車した車両を原告や永瀬彩子弁護士、新宿民商の会員らに取り囲まれて、その発進を妨げられ、約一時間にわたって面談を要求された。そのため、右両名は、やむなく王子信金内で面談に応じたが、その際、原告らから王子信金を訪れた理由を尋ねられた上、銀行調査をしたことについて抗議を受けた。
2 本件青色取消処分の根拠及び適法性
青色申告制度は、青色申告者に対し、税法上種々の特典を与えている反面、青色申告者に、帳簿書類を備え付けて取引を記録し、かつ、当該帳簿書類を保存することを義務付け(所得税法一四八条一項)、青色申告者がこの義務に違反したときは青色申告承認を取り消すこととしている(同法一五〇条一項一号)。しかして、青色申告制度は、申告者に対し、同法一四八条に所定の帳簿書類を備え付けて所得の金額を記録し、保存することをさせて、右帳簿書類に基づいて青色申告書により所得金額等を申告できるとするとともに、税務署長に、右申告額が正しいか否かについて右帳簿書類をもって確認させることに対して、種々の特典を与えるとの制度である。そうであるならば、同法一五〇条一項一号の帳簿書類の備付け、記録又は保存とは、誠実に記録された帳簿書類を税務署長又は所部の職員が必要に応じていつでも閲覧確認し得る状態にしておくことを意味するものと解すべきであり、青色申告者が右帳簿書類の提示、調査に応じないため、税務署長において右帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われているか否かを確認できなかった場合には、同号の取消事由に該当するものである。
しかるところ、右1のとおり、原告は、被告の同法二三四条に基づく本件調査に対して帳簿書類を提示せず、調査に応じなかったばかりか、その妨害まで行い、そのため、被告は、原告による右帳簿書類の備付け、記録及び保存が正しく行われていることを確認できなかったのであるから、被告は、同法一五〇条一項一号に該当するものと認め、本件青色取消処分をしたものであり、右処分は適法である。
3 本件各更正の根拠及び適法性
(一) 右1のとおり、原告は本件調査に全く協力しなかっただけでなく、被告所部職員の調査を妨害したりしたため、被告は、反面調査によっても、原告の係争各年分の事業所得の金額を実額によって確認することができなかったのみならず、原告の係争各年分その他の年分の収入・支出の状況、又は、生産量・販売量その他の取扱量、更に事業規模等を十分把握できず、比率法によって原告の事業所得を推計することもできなかった。そこで、被告は、反面調査等によって確認した係争各年の期首及び期末における原告の資産及び負債の額を基礎とし、資産負債増減法を用いて、推計により係争各年分の原告の事業所得の金額を算出し、本件各更正を行った。
(二) 被告が本訴において主張する係争各年分の原告の総所得金額は、次のとおりである。
(1) 昭和五一年分
ア 事業所得の金額 五八七万一八一五円
イ 雑所得の金額 二六万四三〇〇円
ウ 総所得金額 六一三万六一一五円
(2) 昭和五二年分
ア 事業所得の金額 八一三万〇〇五一円
イ 雑所得の金額 二五万四六九二円
ウ 総所得金額 八三八万四七四三円
(3) 昭和五三年分
ア 事業所得の金額 七八〇万一九五六円
イ 雑所得の金額 二〇万三四六三円
ウ 総所得金額 八〇〇万五四一九円
(三) 事業所得の金額
(1) 別表第三の一ないし三のとおり、資産負債増減法を用いて推計により算出したもので、その算式は次のとおりである。
(期末資産額―期首資産額)―(期末負債額―期首負債額)+調整項目加算額―調整項目減算額=所得金額
右の期首資産額及び期首負債額は、それぞれ、前年の期末資産額及び期末負債額と同額である。また、調整項目加算額は、所得の処分に相当する生活費、家事関連費等であり、調整項目減算額は、所得の種類が事業所得以外の所得に帰属するもの及び非課税所得等に相当するもの並びに事業所得についての特例による必要経費である。
なお、資産の増減は、収入、支出、損失等の額を直截に反映するので、資産の増減額を正確に把握できさえすれば、右の推計方法は、実額に合致する蓋然性が高く、十分に合理的である。
(2) 係争各年の推計の基礎となった資産若しくは負債中の各科目に係る期首若しくは期末の金額又は調整項目加算額若しくは調整項目減算額中の項目に係る金額のうち、争いのあるものの内容は次のとおりである。
ア 資産中の預金科目に係る額
王子信金に対する普通預金、定期積金及び定期預金であり、別表第四の各年末現在残高の合計金額欄記載のとおりである。
イ 負債中の借入金科目に係る額
王子信金からの借入金であり、別表第五の各年末現在残高の合計金額欄記載のとおりである。
なお、昭和五二年一二月三一日現在残高及び昭和五三年一二月三一日現在残高の欄の金額は、それぞれ、原告の昭和五二年分及び昭和五三年分各決算書の資産負債調の借入金科目欄記載の金額と同額である。
ウ 調整項目加算額中の生活費の額
原告の所帯人員は、原告及び妻花子のほか、昭和五三年二月までは長男一郎、長女春子、二男二郎、花子の弟乙山松夫(以下、順次、「一郎」、「春子」、「二郎」、「松夫」という。)の六名、同年三月以降は松夫を除く五名であったところ、総理府統計局発行の家計調査年報に基づき、右所帯人員数の所帯の生活費として別表第六のとおり算出した額である。
家計調査年報は、国が行う家計調査の結果について刊行されているものであり、右家計調査は、統計法の規定による指定統計に指定され、家計調査規則(昭和五〇年総理府令第七一号)に基づいて実施されている統計調査である。
なお、原告の生活費の推計に当たっては、家計調査年報の第一一表「県庁所在都市別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の東京都区部の消費支出額を基にすべきところ、原告の有利に、右消費支出額より少額である第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市(東京都区部、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、北九州市及び札幌市)の消費支出額に基づいて推計を行ったものである。
エ 調整項目加算額中の家事関連費の額
a 昭和五一年分
次の①ないし③の合計金額である。
① 本件建物の昭和五一年分減価償却費一四万五二八三円のうち、その自宅供用部分の割合(以下「自宅供用割合」という。)四六・七パーセント(本件建物の二階自宅部分の床面積三九・八一平方メートルを総床面積八五・一八平方メートルで除したもの)に対応する金額 六万七八四七円
② 土地(本件建物の敷地)取得資金として借り入れた別表第五の順号1及び2の各借入金に係る昭和五一年分の支払利息額のうち、本件建物の自宅供用部分に係るものとして、同表の注1の算式に従って計算した額と、本件建物取得資金として借り入れた同表の順号3の借入金に係る昭和五一年分の支払利息額のうち、本件建物の自宅供用部分に係るものとして、同表の注2の算式に従って計算した額との合計額 七九万二五六九円
③ 本件借家の昭和五一年分の支払家賃二八万円のうち、その自宅供用部分に係る金額 九万三三三三円
b 昭和五二年分
次の①及び②の合計額である。
① 昭和五二年分の本件建物の減価償却費三四万八六七九円、同年三月の改築部分に係る減価償却費九〇七五円、同年五月の改築部分に係る減価償却費二万二三二九円及び同年一二月の改築部分に係る減価償却費七一二円のうち、それぞれ、自宅供用割合四六・七パーセントに対応する一六万二八三三円、四二三八円、一万〇四二七円及び三三二円の合計額 一七万七八三〇円
② 土地(本件建物の敷地)取得資金として借り入れた別表第五の順号2の借入金に係る昭和五二年分の支払利息額のうち、本件建物の自宅供用部分に係るものとして、同表の注1の算式に従って計算した額と、本件建物取得資金として借り入れた同表の順号3の借入金に係る昭和五二年分の支払利息額のうち、本件建物の自宅供用部分に係るものとして、同表の注2の算式に従って計算した額との合計額 七五万二〇七五円
c 昭和五三年分
次の①及び②の合計額である。
① 昭和五三年分の本件建物の減価償却費三四万八六七九円、昭和五二年三月の改築部分に係る減価償却費一万〇八八九円、同年五月の改築部分に係る減価償却費三万三四九三円及び同年一二月の改築部分に係る減価償却費八五四五円のうち、それぞれ、自宅供用割合四六・七パーセントに対応する一六万二八三三円、五〇八五円、一万五六四一円及び三九九〇円の合計額 一八万七五四九円
② 土地(本件建物の敷地)取得資金として借り入れた別表第五の順号2の借入金に係る昭和五三年分の支払利息額のうち、本件建物の自宅供用部分に係るものとして、同表の注1の算式に従って計算した額と、本件建物取得資金として借り入れた同表の順号3の借入金に係る昭和五三年分の支払利息額のうち、本件建物の自宅供用部分に係るものとして、同表の注2の算式に従って計算した額との合計額 五七万一八七二円
(四) 雑所得の金額
係争各年とも、原告が王子信金から支払を受けた定期積金に係る給付補填金の金額で、昭和五一年分二六万四三〇〇円、昭和五二年分二五万四六九二円、昭和五三年分二〇万三四六三円である。
(五) 本件各更正に係る総所得金額は、それぞれ、原告の昭和五一年分、昭和五二年分及び昭和五三年分の各総所得金額の範囲内であるから、本件各更正はいずれも適法である。
4 本件各賦課決定の根拠及び適法性
(一) 五一年分賦課決定
五一年分更正により原告が納付すべき税額は七一万四〇〇〇円(昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法一一八条三項により一〇〇〇円未満の端数切捨て)であるから、右改正前の同法六五条一項により、右税額に一〇〇分の五を乗じて算出した三万五七〇〇円の過少申告加算税を賦課した五一年分賦課決定は適法である。
(二) 五二年分賦課決定
五二年分更正により原告がさらに納付すべき税額は九一万四九〇〇円であるから、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項により、右税額のうち八五万七〇〇〇円に一〇〇分の五を乗じて算出した四万二八〇〇円(右改正前の同法一一九条四項により一〇〇円未満切捨て)の過少申告加算税を賦課した五二年分賦課決定は適法である。
(三) 五三年分賦課決定
五三年分更正により原告が納付すべき税額は一三二万三六〇〇円であるから、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項により、右税額のうち一二九万円に一〇〇分の五を乗じて算出した六万四五〇〇円の過少申告加算税を賦課した五二年分賦課決定は適法である。
四 抗弁に対する認否
1(一) 抗弁1の(一)は不知。
(二) 同(二)のうち、小野寺係官が昭和五三年一〇月四日午後一時三〇分ころ原告宅に赴き、原告に調査のために訪問した旨を告げたこと、原告が多忙を理由にその場での調査に応ぜず、午後三時ころに時間が空く旨申し立てたこと、小野寺係官が再び訪れる旨を告げて原告宅を辞去したことは認め、その余は否認する。
小野寺係官は、事前連絡なく、突然に、営業中の原告宅を訪れて調査を申し出たものであり、かつその時刻は、昼食時の繁忙時間内であって、持ち場である調理場を離れて帳簿書類の提示、説明を行うことが困難であった原告が、その時間又はその日を回避するよう求めたところ、小野寺係官は、また来る旨を告げて辞去したものである。
(三) 同(三)は認める。
(四) 同(四)のうち、小野寺係官が同月三〇日に原告宅を訪れたこと、原告宅に原告のほか、新宿民商の会員約二〇名が同席したこと、小野寺係官が原告に右の者らを退席させるよう要請したこと、小野寺係官が原告に昭和五〇年ないし昭和五二年分の帳簿、原始記録等の提示を求めたこと、小野寺係官が原告について長期間調査が行われていないと述べたこと、小野寺係官が帳簿書類の提示義務及び納税者の受忍義務について述べたことは認め、その余は否認する。
右同日、原告は、原告方の客用座敷の中央手前のテーブル付近に昭和五〇年ないし昭和五二年分の元帳各一冊、金銭出納帳各一冊、入出金伝票各一二冊、請求書綴各一二冊、領収書綴各一二冊、借入金及び利息計算書綴各一冊を並べ、直ちに調査に応じられるように準備していた。原告方を訪れた小野寺係官は、まず、個人の財産の秘密の保持を理由に同席した新宿民商の会員の退席を求めたが、原告が誰に見てもらっても構わないと述べると、納得して原告に帳簿の提示を求めた。そこで、原告は、調査理由、問題点を教えて欲しいと要請したが、小野寺係官は、長期間にわたり調査が行われていない旨答えるのみであった。原告は、調査理由が告げられないことに納得がいかなかったものの、帳簿等を提示することとし、準備した前記各帳簿等を小野寺係官の目前のテーブル上に置いて、見て欲しい旨述べると、小野寺係官は、右各帳簿等を逐一点検確認した後、請求書綴を取り出して、仕入の帳簿記載の方法について原告の説明を受けていたが、やにわに、請求書綴に記載されている原告の仕入先の店名、住所、取引日、金額等をメモし始めたので、不審に思った原告が、メモする理由を問い、かつ、調査の理由が明らかにするよう要望すると、興奮して答える必要はない旨述べた上帰ろうとし、きちんと調査して欲しいという原告の要望を無視して、原告方を出て行ってしまった。この間の原告と小野寺係官とのやりとりは、四五分程度であり、原告は、節度ある言葉使いで応対し、また、同席した新宿民商の会員も調査の妨害をしたり、口々に発言したりしたことはなかった。
(五) 同(五)のうち、小野寺係官が同年一二月一五日午後二時過ぎころに原告に電話してきたことは認め、その余は否認する。
(六) 同(六)のうち、小野寺係官が、昭和五四年一一月九日午後二時三〇分ころ及び昭和五五年二月二七日に原告宅に赴いたことは認め、その余は否認する。
原告は、昭和五四年一一月二日ころに王子信金の田中支店長らに、税務調査には応ずる考えのあることを話していたところ、同月九日に、小野寺係官が突然原告方を訪れ、原告に対し、銀行から返事は貰っている旨を述べた上、調査理由を示さず、極めて威圧的に帳簿の提示を求めたが、原告が、突然来られても営業上困るので、別な日又は時間にして欲しいと述べた上、調査理由を明らかにしてもらいたい旨要望すると、小野寺係官は、裏が取ってあるので更正処分が打てる旨言い捨てて立ち去った。
また、小野寺係官は、昭和五五年二月二七日にも、突然原告方を訪れたが、原告に対し、更正処分を打つ旨告げただけで、直ちに帰ってしまった。
(七) 同(七)のうち、小野寺係官が、王子信金に反面調査の協力を求めたことは認め、その余は不知。
(八) 同(八)のうち、篠原副署長及び萩谷統括官が昭和五四年九月二六日に王子信金を訪れたこと、同人らが退去する際、原告や永瀬彩子弁護士、新宿民商の会員らから面談を要求されたことは認め、その余は否認する。
原告らの右当日の行為は、被告が原告の所得税調査に関し、その調査理由も明らかにせず、原告に秘して王子信金の原告の預金の調査を行ったことについて、その理由を明らかにするよう要請したものにすぎない。そして、原告らは、篠原副署長らが王子信金から退出するのを待って、整然と面談の申入れを行い、王子信金内で、田中支店長ら王子信金職員を交えて話し合いをもったもので、被告所部職員の調査を妨害するものではなく、現に、被告は、王子信金から原告の預金に関する全資料を入手している。
2 同2は争う。
3(一) 同3の(一)のうち、被告が資産負債増減法を用いて推計により係争各年分の原告の事業所得の金額を算出して本件各更正を行ったことは認め、その余は争う。
(二) 同(二)のうち、(1)ないし(3)の各イは認め、その余は争う。
(三)(1) 同(三)の(1)のうち、主張の推計方法が実額に合致する蓋然性が高く、合理的であることは争う。別表第三の一ないし三については、いずれも、資産中の預金を除くその余の科目に係る期首金額、期末金額及び増減差額、負債中の借入金を除くその余の科目に係る期首金額、期末金額及び増減差額、調整項目加算額中の生活費及び家事関連費を除くその余の項目に係る金額並びに調整項目減算額中の各項目に係る金額は認め、その余は争う。
(2)ア 同(2)のアのうち、別表第四の各預金の存在は認めるが、右預金の全部が原告に帰属すること及び原告の事業所得によるものであることは否認する。
イ 同イは否認する。
ウ 同ウのうち、原告の所帯の人員構成が主張のとおりであることは認め、その余は争う。
エa① 同エのaの①及び②の各金額が主張のとおりであることは認める。
② 同③のうち、本件借家の昭和五一年分の支払家賃額が二八万円であることは認めるが、本件借家の自宅供用部分に係る金額が九万三三三三円であることは否認する。右自宅供用部分に係る金額は三万五〇〇〇円である。
b 同bの①及び②の各金額が主張のとおりであることは認める。
c 同cの①及び②の各金額が主張のとおりであることは認める。
(四) 同(四)は認める。
(五) 同(五)は争う。
4 同4は争う。
五 原告の主張
1 本件青色取消処分の違法
(一) 原告は、昭和四三年に被告から青色申告承認を受けて以来、毎年、元帳、金銭出納帳、入出金伝票、請求書綴、領収書綴、借入及び利息計算書綴の六種類の帳簿書類を備え付け、記録し、保存しており、昭和五一年分以降についても同様であった。したがって、原告について、昭和五一年分以降の年における所得税法一五〇条一項一号の事由は存在しない。
なお、被告は、青色申告者が右帳簿書類の提示、調査に応じないため、税務署長において帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われていることを確認できないときは、同号の取消事由に該当する旨主張する。しかしながら、同号は、その年における帳簿書類の備付け、記録又は保存が同法一四八条一項、同法施行規則五六条ないし六四条に従って行われていないことをもって、青色申告承認の取消事由とするものである。青色申告承認の取消事由が法定されているのは、その取消処分が、青色申告者に法律上付与されている各種の利益を喪失させるものであって、納税者の権利義務に重大な影響を及ぼすものであることから、租税法律主義の要請に基づくものであり、したがって、取消事由の解釈は厳格に行うことを要するところ、帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われていることを税務署長が確認できないことも同号の取消事由に当たるとするのは、同号の定める事由以外の事由について同号を類推するものにほかならず、納税者の各種の利益を奪う青色申告承認の取消処分をかかる類推解釈による事由に基づいて行うことは、租税法律主義の原則に違反するものであって許されない。
(二) また、被告は、原告が調査理由の開示を求めて本件調査に応じなかったばかりか、その妨害まで行ったとし、これを根拠として本件青色取消処分をしたものであるが、小野寺係官及び被告のした本件調査には、調査権限の違法な行使又は濫用があり、それとの対応において、原告に青色申告承認の取消処分を受ける事由は何ら存在しない。
すなわち、第一に、小野寺係官が調査のため原告宅を訪れた日(なお、昭和五五年二月二七日は調査のために訪れたものとはいえない。)のうち、昭和五三年一〇月四日及び昭和五四年一一月九日は、いずれも事前連絡なく、しかも、昼食を中心として営業し、かつ、調理を担当するのがほぼ原告のみであるような飲食店に、昼食時の繁忙時間帯に突然訪れて帳簿書類の提示その他の調査協力を求めたものであるが、所得税法二三四条一項の質問検査は、任意調査であって、被調査者の協力を得て行うものであるから、原則として事前に通知することは社会通念上当然のことであり、これをしないで、しかも繁忙時間帯に突然訪れて帳簿書類の提示その他の調査協力を求めることは、社会常識を逸脱するのみならず、もはや、調査権限の違法な行使といわざるを得ないから、右各日に、帳簿書類の提示がされなかったことをもって、本件青色取消処分の根拠とはし得ない。
第二に、小野寺係官は、本件調査の間、原告の再三の開示要請にもかかわらず、終始調査理由を秘匿し続けたものであるが、質問検査権の行使についても憲法三一条の適正手続の保障は及ぶものであるから、調査の合理的理由ないし必要性がなくして質問検査権を行使するのは違法であり、かつ、右の合理的理由ないし必要性の存在を客観的に判断する上で調査理由の開示は不可欠であって、被告又は調査を行う所部職員は、調査を受ける納税者から調査理由の開示を明確に要請された場合には、特別の事情のない限り、これを明示する法的義務があり、これを明示しない質問検査権の行使も違法となるから、調査理由を秘匿し続ける小野寺係官に対し、原告が再三調査理由の開示を求めたことをもって、調査に対する非協力とすることも調査の妨害とすることもできず、したがって、原告が小野寺係官の要求に直ちに従わなかったからといって、本件青色取消処分の根拠とはし得ない。
第三に、小野寺係官は、事実上第一回目の調査日である昭和五三年一〇月三〇日に、原告から帳簿書類の提示を受けたにもかかわらず、突然原告の仕入先の店名、住所等をメモし出したので、原告は小野寺係官に対し、その行為の理由を質問したことがあったが、いわゆる反面調査は、被調査者が納税者本人ではないので、これを行わなければ調査が完了しない場合に限って許されるものであるところ(特に、銀行調査については、通達によって、これが許される場合が厳格に定められている。)、小野寺係官の右のような行為は反面調査の準備と思われても仕方がないから、反面調査の必要性の全くない右段階でのこのような違法の疑いのある行動に対し、原告がその理由を質問することが許されるのは当然であり、このような質問をしたことをもって、調査に対する非協力とすることはできない。また、被告及び小野寺係官は、昭和五四年九月に二度にわたり、王子信金に対して原告の預金調査を行ったが、右の調査は、昭和五三年一〇月三〇日の調査後、銀行調査を行う必要が全くなく、右通達の要件の存在しないのに行われた違法なものであるから、これに対して原告及び原告の依頼した弁護士や新宿民商の会員が調査終了を待って面談の申入れをし、銀行調査の理由を明らかにするよう求めたことをもって、調査の妨害とし、本件青色取消処分の根拠とすることはできない。
(三) 小野寺係官の原告に対する帳簿書類の提示要求は、昭和五三年一〇月三〇日と昭和五四年一一月九日の二度にわたってあったが、昭和五三年一〇月三〇日には、原告が要求に係る帳簿書類を全部提示し、小野寺係官はこれを逐一点検、確認したものであり、また、昭和五四年一一月九日には、原告が調査理由の開示を要請すると、小野寺係官はすぐに帰ってしまったものであるから、いずれのときにおいても原告が帳簿書類の提示を拒否した事実は存在しない。
(四) 原告は、本件青色取消処分に対する異議申立ての際に、調査に当たった被告所部係官松尾啓一(以下「松尾係官」という。)に対し、昭和五一年ないし昭和五三年分の帳簿書類を提示し、松尾係官はこれを精査した。すなわち、遅くとも異議申立ての段階では、被告は、原告が帳簿書類を備え付け、記録し、保存していることを確認しているのであるから、本件青色取消処分は、異議決定の際に取り消されるべきものであったのであり、その後においてもこれを維持することは違法である。
(五) 右(一)ないし(四)のいずれの理由によっても、本件青色取消処分は違法であることが明らかである。
2 更正の違法
(一) 著しい手続的違法
国税通則法二四条は、税務署長は、納税者の申告による税額等がその調査したところと異なるときはその調査により更正をする旨を定めるが、右の調査については憲法三一条の適正手続の保障が及ぶものである。
しかるところ、右1の(二)のとおり、小野寺係官及び被告による調査には、その調査権限の濫用又は違法な行使があり、それとの対応において、原告に非難されるべき事実は何ら存在しないのみならず、本件各更正は、その要件が存在しないにもかかわらず行われた違法な反面調査、特に銀行調査によって得られた資料に基づいて行われたものであるから、調査手続に著しい違法がある。
(二) 推計の違法
(1) 推計による更正自体の違法
青色申告に係る原告の事業所得の金額について更正をする場合には、その帳簿書類を調査し、その調査により右金額の計算に誤りがある場合に限り、これをすることができるのであって(所得税法一五五条一項)、推計により更正をすることは許されないところ、右1のとおり、本件青色取消処分は違法であって取り消されるべきものであるから、推計により原告の事業所得の金額を算出して行った本件各更正は違法である。
(2) 推計の必要性の欠如
ア 推計による課税は例外的方法であるから、特別の事情がない限り許されないものであるところ、本件調査は、そもそもこれを行う必要性が全くなかったものであるのみならず、右1の(一)及び(二)のとおり、原告は係争各年分の帳簿書類を備え付け、記録し、保存していたものであり、さらに、本件調査に対し、非協力であったり、これを妨害したりしたようなことはなかったのであるから、推計により原告の事業所得の金額を算出する必要性は全くなかった。
イ 右1の(四)のとおり、被告は、遅くとも異議申立ての際の調査において原告が備え付け、記録し、保存しておいた帳簿書類を確認し、これについて調査を行ったものであるところ、たとえ、青色申告承認が取り消されたとしても、右帳簿書類の信頼性が直ちに失われることはなく、右帳簿書類に基づいて実額により原告の事業所得の金額が算出できたはずであるから、本件各更正は、本来は、異議決定において取り消されるべきものであったのであり、その後においてもこれを維持することは許されない。
(3) 推計の合理性の欠如
ア 推計による課税を行うに当たっては、直接資料に近いものを基礎とし、より実額に合致する蓋然性の高い推計方法によるべきである。そして、従来、原告のように少人数の者が従事する飲食店業を営む者に対する推計の方法としては、同業者比率法等の比率法や、箸、米等を基礎とする効率法などが多く用いられてきたのであり、これは、比率法や効率法が、直接資料に近いものを基礎とし、より実額に合致する蓋然性が高いからにほかならない。他方、資産負債増減法は、直接資料から遠いものを基礎とするもので、実額に合致する蓋然性が低い上に、生活費及び家事関連費について、これを実額で把握する方法もまた合理的に推計する方法もないところから、その推計方法として必然的に合理性に乏しい消費高法を用いざるを得ない。本件各更正に当たって、被告は、何ら合理的な理由なく、比率法、効率法を排斥して、資産負債増減法を採用し、かつ、被告の主張に係る原告の事業所得の五〇パーセント以上を占める生活費及び家事関連費の額につき消費高法を用いて、家計調査年報第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部における一か月当たりの消費支出額を基礎とする推計を行っているが、この生活費及び家事関連費の額についての推計は、後記ウのとおり、極めて不合理なものである。したがって、資産負債増減法及び消費高法を採用してされたこと自体によって、本件各更正における推計は合理性を欠くものである。
イ 本件各更正における被告の推計は、原告、花子、一郎、春子及び二郎名義の預金をすべて原告に帰属するものとしている点、原告の露崎芳雄及び西口楢敏からの借入を看過している点並びに松夫による借入金の返済及び生活費の負担を看過している点において、事実に反し、合理性を欠くものである。
すなわち、
a 花子は原告の事業に係る青色事業専従者として毎月六万ないし七万円の給与を得て、その一部を自己又は原告名義の預金としていた。また、一郎、春子及び二郎も、それぞれ、原告の友人、知人などから、正月、祭等の行事の際、あるいは誕生日、進学、卒業等の時期に小遣いや祝金などの名目で、金員を受け取ることがあり、しかも、原告と交友関係のあるプロレス関係者から受領する小遣い、祝金は一般のそれよりも遙かに多額であるところ、かかる金員の一部を名自の名義又は原告の名義で預金していた。したがって、花子、一郎、春子及び二郎の名義の預金をすべて原告に帰属するものとされた推計は事実に反する。
b 原告は、王子信金から本件建物の建築資金及び「レストランオレンジ」の店舗の購入及び改造資金の融資を受けるに当たり、その条件として、王子信金に毎月一定額以上の定期積金をして融資金の返済資金に充てることを約し、右約定に従って昭和五〇年ころから毎月一定額以上の定期積金を行っていて、最終的にはその額が毎月五〇万ないし六〇万円程度にまで及ぶようになったが、かかる定期積金のための資金が不足することがあったため、露崎芳雄から、昭和五〇年一〇月五日に一五〇万円、昭和五一年四月二六日に一五〇万円、同年八月二三日に一〇〇万円、昭和五三年三月二五日に二〇〇万円をそれぞれ借り入れ、また、西口楢敏から、昭和五一年七月二五日に一〇〇万円、昭和五三年二月二五日に一〇〇万円、同年三月三〇日に一〇〇万円をそれぞれ借り入れ、営業収入とともに定期積金として王子信金に預金したり、一部を生活費に充てたりしていた。したがって、かかる借入金の存在を看過した推計は事実に反する。
c 松夫は、昭和四三年から昭和五三年二月まで原告家族と同居していたが、昭和五〇年ころから生活費の負担として一か月二万円を花子に手渡していた。また、松夫は、同年ころまでに海外旅行費用や自動車購入資金等として総額一〇〇万円程度を原告から借り入れていたが、同年一二月ころからは、その返済金と右の生活費負担とを併せ、毎月平均五万円程度を花子に手渡すようになった。したがって、松夫によるかかる借入金の返済及び生活費の負担を看過した推計は事実に反する。
ウ 本件各更正における被告の推計は、原告の生活費及び家事関連費について、家計調査年報第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部における一か月当たりの消費支出額を基礎としているところ、これは、原告が右統計の標準的消費支出額によって標準的な生活を営んでいることを前提とするものであるが、東京都新宿区内に居住しているからといって、その一事でこのような前提をすること自体経験則に反するものであり、原告の生活費が右統計の消費支出額と同程度であるとの推定を妥当とすべき何らの根拠もない。それのみならず、被告は、右の統計における一所帯の消費支出額を、その平均所帯人員(昭和五一年三・八二人、昭和五二年三・七八人、昭和五三年三・七五人)と原告方の所帯人員(昭和五一年一月から昭和五三年二月まで六人、同年三月以降五人)との割合に単純に比例させて原告の生活費としているが、生活費には共通経費があるから所帯人員が増えるほど一人当たりの額が逓減することは経験則上明らかであり、被告の右計算が不合理であることも明白である。なお、原告家族はもともとつましい生活を送っていたものであるが、昭和五一年から昭和五三年にかけては、銀行からの借入金で自宅等を購入し、その返済のため一層生活費を切り詰めており、右統計と同程度の生活費を支出していたものではない。右のとおり、原告の生活費及び家事関連費の額に係る被告の推計には合理性がない。
(三) 実額主張
原告の係争各年分の事業所得の金額は実額で算出することが可能であり、右各事業所得に係る売上金額、仕入金額、経費及び事業所得の金額は別表第七のとおりである。
(四) 推計金額の修正(予備的主張)
仮に係争各年分の原告の事業所得の金額を推計によって算出すべきであるとしても、被告のした抗弁3の(二)の推計に係る金額に少なくとも次の修正が加えられるべきである。
(1) 右(二)の(3)のイのbのとおり、原告は、露崎芳雄から、昭和五〇年一〇月五日に一五〇万円、昭和五一年四月二六日に一五〇万円、同年八月二三日に一〇〇万円、昭和五三年三月二五日に二〇〇万円を、また、西口楢敏から、昭和五一年七月二五日、昭和五三年二月二五日及び同年三月三〇日に各一〇〇万円をそれぞれ借り入れ、王子信金との間で約した毎月の定期積金の資金の不足額に充当していたところ、右各借入金の額及び返済状況などに照らすと、右各借入金による充当額は昭和五一年分が二四〇万円(一月から一二月まで各月平均二〇万円)、昭和五二年分が二二〇万円(一月から一一月まで各月平均二〇万円)、昭和五三年分が三三〇万円(二月から一二月まで各月平均三〇万円)と推定される。したがって、係争各年の原告の資産の増減差額から昭和五一年分は二四〇万円が、昭和五二年分は二二〇万円が、昭和五三年分は三三〇万円が減額されるべきである。
(2) 右(二)の(3)のイのcのとおり、松夫が昭和五〇年ころから昭和五三年二月まで生活費の負担として毎月二万円を花子に手渡し、また、昭和五〇年一二月ころから昭和五三年二月まで約一〇〇万円の借入金の返済として原告に対し少なくとも毎月二万五〇〇〇円を支払っていたので、原告の事業所得の金額から、昭和五一年分及び昭和五二年分はそれぞれ生活費分二四万円及び返済金分三〇万円が、また昭和五三年分は生活費四万円、返済金分五万円が減額されるべきである。
(3) 原告は、昭和五一年から昭和五三年までの間、児童手当として毎年少なくとも六万円を受給していたから、係争各年分の原告の事業所得の金額から各年六万円が減額されるべきである。
(4) 原告の生活費は年間約一〇〇万円であり、そのうち二四万円は松夫が負担していたのであるから、係争各年の生活費のうち七六万円を超える部分は減額されるべきである。
(5) 原告の生活費の推計に家計調査年報を用いるとすれば、その消費支出額中には住居費が含まれているのであるから、住居費及びその関連経費を内容とする家事関連費はこれと重複することになり、係争各年の所得額から減額すべきである。
六 原告の主張に対する被告の認否
1(一) 原告の主張1の(一)は争う。
なお、租税法律主義は、租税の賦課が法律の定めるところに従ってされなければならないという原則であるが、青色申告承認の取消しは、納税申告をいかなる方法により行うかという手続の問題であるから、租税法律主義とは関わりのない事柄である。
(二) 同(二)のうち、昭和五三年一〇月四日及び昭和五四年一一月九日に小野寺係官が原告方を訪れた際に事前連絡をしなかったことは認め、その余は争う。
一般に、所得税法二三四条一項の質問検査の範囲、程度、時期、場所等、実定法上特段の定めのない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、右必要と相手方の私的利益との衝量において社会通念上相当な限度に止まる限り、権限のある税務職員の合理的選択に委ねられたものと解され、この場合、実施の日時場所の事前通知、調査の理由又は必要性の個別的、具体的な告知などは、質問検査を行う上で法律上一律の要件とされているものではない。また、銀行調査を含む反面調査についても、同項による質問検査権の行使として行われるのであるから、その質問検査の対象をどの範囲とするかは、右同様、調査の必要性と納税者又は調査の相手方等の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度内で、権限ある税務職員の合理的選択に委ねられているのであって、これを行わなければ調査が完了しない場合に限って許されるとする規定は存在しない。
のみならず、小野寺係官が原告に対して調査事由を開示したことは、抗弁1の(四)のとおりであるし、また、原告が小野寺係官による昭和五三年一〇月三〇日及び同年一二月一五日の再度にわたる帳簿書類等の提示の申入れを明確に拒否したために、被告はやむを得ず反面調査を実施したことは、抗弁1の(四)ないし(八)のとおりである。また、税務職員が日時を打ち合わせることなく突然調査に訪れたからといって、納税者は、これのみをもって右調査を拒否できるものではなく、直ちに調査に応じられないやむを得ない事情があるときは、その旨を告げ、調査に応ずべき日時を打ち合わせるなどの措置をとるべきところ、昭和五三年一〇月四日の調査については、多忙である旨の原告の申立てにより、小野寺係官は、調査時刻を変更する措置をとっており(ただし、変更された調査時刻に原告は不在であった。)、また、昭和五四年一一月九日及び昭和五五年二月二七日の調査の際には、原告は、日時の変更を求めることなく、調査自体を拒否したものである。したがって、小野寺係官による右各調査が調査権限の濫用ないし違法な調査に当たるものでもない。
(三) 同(三)は否認する。
(四) 同(四)は否認する。
行政処分が違法であるか否かは、当該処分時の事実関係に基づいて判断されるべきものであるから、仮に原告が本件青色取消処分後に被告ないしその所部係官等に帳簿書類等を提示したとしても、本件青色取消処分に何ら影響を及ぼすものではなく、帳簿書類の備付け等がないとしてされた本件青色取消処分が違法となることはない。
のみならず、本件青色取消処分並びに本件各更正及び本件各賦課決定に係る異議調査において、原告は、松尾係官に対して元帳、現金出納帳、仕入帳、集計表、伝票等を一応見せはしたものの、本件各更正及び本件各賦課決定に係る異議調査に先行して、本件青色取消処分に係る異議調査とこれに基づく処分の取消決定とを行うことを要求して、右帳簿等の内容の調査を拒み、結局、松尾係官は、原告の帳簿書類の記録保存が所得税法一四八条一項、同法施行規則五六条ないし六四条に定めるところに従い、正しく行われているか否かを確認することができなかった。
(五) 同(五)は争う。
2(一) 原告の主張2の(一)は争う。
(二)(1) 同(二)の(1)及(2)は争う。
(2)ア 同(3)のアは争う。
イa 同イの柱書きのうち、本件各更正における被告の推計において、原告、花子、一郎、春子及び二郎名義の預金はすべて原告に帰属するものとしていることは認め、その余は争う。
b 同イのaは否認する。
一郎、春子、二郎及び花子名義の預金については、原告名義の預金が名義変更されたものであったり、あるいは、原告名義の預金の解約払込金若しくは預金利息をもって預け入れがされたりしており、他方、一郎、春子、二郎及び花子名義の預金の解約払戻金が原告の王子信金に対する借入金の返済に充てられ、その残額が原告名義の預金とされていたりする等、原告名義の預金と渾然一体となって、原告が管理運用していたものであり、また、一郎、春子、二郎及び花子には所得を得るべき所有財産がなく、さらに、一郎、春子及び二郎については、昭和五三年一二月末日現在においては、いずれも未だ小学生であったのであるから、一郎、春子、二郎及び花子の名義の預金が、それぞれ、これらの者の収入によってされたこれらの者に帰属する預金であるとは、到底認められない。
c 同b及びcは否認する。
ウ 同ウは否認する。
原告は、昭和五〇年一一月、東京都新宿区《番地省略》所在の土地を一八二〇万六八九四円で取得し、昭和五一年八月、右地上に本件建物を八四二万二二〇〇円で取得した上、昭和五二年中に約一二〇万円をかけてその改修工事を行い、昭和五三年四月、レモンセンター地下一階の店舗(土地及び建物)を二五〇〇万円で取得した上、その内装工事のため一六〇万円を支出し、さらに、昭和五四年八月、東京都世田谷区若林五丁目所在の土地建物を約二〇〇〇万円で取得し、同年一〇月、埼玉県川越市南台二丁目所在の土地を約二五〇〇万円で取得する等、係争各年又はその前後に多額の資産を取得しており、また、多額の預金を有していたのであるから、標準以下の生活を営んでいたものとは到底考えられない。
(三) 同(三)は否認する。
(四)(1) 同(四)は争う。なお、(5)に関し、家計調査年報の消費支出額中には家賃地代額が含まれているが、抗弁3の(三)の(2)のウの生活費の額の推計において基礎とした消費支出額は右家賃地代額を控除した金額である。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求の原因1ないし3は当事者間に争いがない。
二 本件調査の経緯について
抗弁1の(二)のうち、小野寺係官が昭和五三年一〇月四日午後一時三〇分ころ原告宅に赴き、原告に調査のために訪問した旨を告げたこと、原告が多忙を理由にその場での調査に応ぜず、午後三時ころに時間が空く旨申し立てたこと及び小野寺係官が再び赴く旨を告げて原告宅を辞去したこと、同(三)の事実、同(四)のうち、小野寺係官が同月三〇日に原告宅を訪れたこと、原告宅に原告のほか、新宿民商の会員約二〇名が同席したこと、小野寺係官が原告に右の者らを退席させるよう要請したこと、小野寺係官が原告に昭和五〇年ないし昭和五二年分の帳簿、原始記録等の提示を求めたこと、小野寺係官が原告について長期間調査が行われていないと述べたこと及び小野寺係官が帳簿書類の提示義務及び納税者の受忍義務について述べたこと、同(五)のうち、小野寺係官が同年一二月一五日午後二時過ぎころに原告に電話してきたこと、同(六)のうち、小野寺係官が、昭和五四年一一月九日午後二時三〇分ころ及び昭和五五年二月二七日に原告宅に赴いたこと、同(七)のうち、小野寺係官が、王子信金に反面調査の協力を求めたこと、同(八)のうち、篠原副署長及び萩谷統括官が昭和五四年九月二六日に王子信金を訪れたこと並びに同人らが退去する際、原告や永瀬彩子弁護士、新宿民商の会員らから面談を要求されたこと、以上の事実は当事者間に争いがないところ、右事実に、《証拠省略》を総合すると、次の各事実を認めることができる。
1 被告は、原告の昭和五一年分の収入金額が前年を上回っているにもかかわらず、所得金額が減少していること、原告が昭和五〇年に本件建物の敷地となった土地を取得した資金の出所が明らかでない上に原告の昭和五〇年分決算書の資産負債調に右取得の事実が反映されていなかったこと並びに原告について長期間調査がされていなかったことから、原告の申告内容の適否について検討する必要を認め、昭和五三年九月ころ、小野寺係官に本件調査を命じた。
2 小野寺係官は、本件調査のため、昭和五三年一〇月四日午後一時三〇分ころ原告宅に赴き、原告に調査のため訪問した旨を告げて協力を求めたところ、原告は、午前一一時ころから午後二時ころまでは昼食の時間帯で多忙であるとして、その場での調査に応じなかったが、午後三時ころなら時間が空く旨を申し立てた。そこで、小野寺係官は、午後三時ころに再び訪れる旨を原告に告げて一旦辞去した後、右時刻ころに再度原告宅に赴いたが、原告は在宅せず、また、在宅していた花子は小野寺係官の質問に対して従業員が花子を含めて五名であること及び本件建物の二階が住居であることを答えたのみで、帳簿の記帳者、仕入先等については答えなかったので、小野寺係官は当日の調査を断念し、原告宅を辞去した。
3 小野寺係官は、同年一〇月二六日に原告に電話して、同月三〇日午後二時ころに調査のため原告宅に赴きたい旨及びその際に原告の昭和五〇年ないし五二年分の帳簿、原始記録等を準備するよう申し入れたところ、原告はこれを了承した。
そこで、小野寺係官が同月三〇日午後二時ころ原告宅を訪れたところ、原告宅には、原告のほか、新宿民商の会員一二、三名が同席して調査に立ち会う態度を示したので、小野寺係官が調査に支障を来すおそれがあるとして右の者らを退席させるよう原告に要請したのであるが、原告がこれに応じなかったため、右の者らは退席せず、その後同席する新宿民商の会員はさらに増えて約二〇名になった。
小野寺係官は、やむなく右の者らを同席させたまま本件調査を進めることとし、原告に対し昭和五〇年ないし昭和五二年分の帳簿の提示を求めたが、原告は、調査理由の開示を求めるとともに、適正な申告をしているとして右帳簿の提示をしなかったので、小野寺係官は、原告について長期間調査が行われていないので申告内容の適否を確認する必要がある旨及び原告宅の取得資金について疑問点がある旨を述べ、青色申告者の帳簿書類の提示義務及び質問検査権の行使に対する納税者の受忍義務について繰り返し説明して、右帳簿の提示をさらに求めたにもかかわらず、原告は、具体的調査理由の開示がないとして、右帳簿の提示に応じなかった。その後、原告は、段ボール箱一箱を自己の傍らに置き、昭和五二年分の領収書、伝票等が在中していると申し立てた上、中から一綴の領収書だけを取り出して小野寺係官に手渡したので、小野寺係官がその内容の一部を持参のメモ用紙に書き写し始めたところ、原告は小野寺係官から右領収書等の綴とともにそのメモ用紙を取り上げ、小野寺係官の要請にもかかわらずこれを返却しなかった。この間、原告は、時折威圧的言辞を混え、荒い口調で原告に対応し、さらに、小野寺係官の手首を掴んで原告宅の外に引き出そうとしたりもした。また、同席した新宿民商の会員も、原告に同調して口々に発言し、騒然とすることが何度かあった。右のような状況のため、小野寺係官は、調査開始から約二時間経過後に、帳簿の提示を得られず何ら成果のないまま、当日の調査の遂行を断念し、原告に対し再度来訪する旨及びその際には帳簿を準備するよういい置いて原告宅を辞去した
4 小野寺係官は、同年一二月一五日に原告宅に電話して、原告に対し、帳簿の不提示は青色申告承認の取消事由に該当する旨申し述べた上、帳簿を提示して調査に協力するよう求めたが、原告は、具体的調査理由の開示がなければ帳簿の提示には応じられないとの主張を繰り返すのみであったので、小野寺係官は、原告が調査に非協力であれば、被告は独自の調査を行う旨を告げ、さらに、調査に協力するのであれば連絡するよう付け加えたが、その後、原告から小野寺係官に対する連絡はなかった。
5 右のとおり、原告には本件調査に応ずる態度がみられず、また、原告の取引先の多くが明らかでなかったので、小野寺係官は、上司である統括国税調査官の指示により、原告の取引金融機関であることが判明した王子信金に対する反面調査を実施することとし、昭和五四年九月二〇日、他の被告所部係官とともに王子信金を訪れて原告及び原告の家族名義の預金残高、貸付残高等の照会をしたところ、王子信金側は、原告名義の預金残高、貸付残高等については回答したものの、原告の家族名義の預金残高等については、原告から申入れがあったとして、照会に応じなかった。
そこで、同月二六日、篠原副署長及び萩谷統括官が王子信金に赴いて田中支店長に協力を要請し、原告の家族名義の預金について入出金伝票に基づく調査を実施する了解を得て、退去しようとしたところ、王子信金側から連絡を受けた原告並びに永瀬彩子弁護士及び新宿民商の会員十数名に面談を要求され、王子信金内の会議室において、王子信金に対する調査をしたことについて抗議を受けた。
6 小野寺係官は、王子信金に対する反面調査が一応終了した後の同年一一月九日午後二時三〇分ころ、原告宅を訪れ、原告に対し、本件調査に協力して昭和五一年ないし昭和五三年分の帳簿を提示するよう求めたが、原告は、従前述べていたと同様の主張を繰り返し、原告と小野寺係官とを隔てていたカウンターを調理用の柄杓で叩くなど、小野寺係官に危害を加えかねまじき態度を示して、小野寺係官の要請に全く応じなかった。
小野寺係官は、昭和五五年二月二七日午後三時ころにも原告宅を訪れ、原告に対し、調査に応じない場合には青色申告承認の取消及び更正の各処分をせざるを得ない旨告げて本件調査に協力するよう求めたが、原告はこれに応じなかった。
以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
三 本件青色取消処分の適否について
1(一) 所得税法上、青色申告承認を受けている者は、大蔵省令(所得税法施行規則五六条ないし六四条)で定めるところにより帳簿書類を備え付けて、これに事業所得等の金額に係る取引を記録し、かつ、当該帳簿書類を保存しなければならず(同法一四八条一項)、右帳簿書類の備付け、記録又は保存が右大蔵省令に定めるところに従って行われていない場合には、税務署長は青色申告承認を取り消すことができるとされている(同法一五〇条一項一号)。すなわち、青色申告制度は、大蔵省令の定める一定の帳簿書類の備付け、記録、保存をする者に対し、青色申告書を用いて、貸借対照表、損益計算書その他所定の事業所得等の金額の計算に関する明細書を添付した納税申告をした場合に、税法上種々の特典を付与するものであるが、その制度趣旨は、申告納税制度が適正に機能するためには、納税者が帳簿書類を備え付けて取引を記録し、これを基礎として納税申告をすることが望ましいとの見地から、税法上の特典を付与してこれを奨励することにあり、したがって、前提条件である所定の帳簿書類の備付け、記録又は保存を欠くような場合には、青色申告承認を取り消して、右の特典を与えないとするものである。そうすると、税務署長は、青色申告者について、かかる帳簿書類の備付け、記録、保存が大蔵省令の定めるところに従ってされているか否かを随時調査することができなくてはならず、そうであるとすれば、同法一五〇条一項一号にいう帳簿書類の備付け、記録又は保存が大蔵省令に定めるところに従って行われていない場合とは、青色申告者が、税務署長又はその所部職員による右帳簿書類の調査、提示要求に応じないため、右の帳簿書類の備付け、記録及び保存が大蔵省令の定めるところに従ってされているか否かを確認し得ない場合をも含むものと解するのが相当である。
(二) しかるところ、右二に認定した事実によれば、原告は、被告所部職員である小野寺係官による本件調査に際して、帳簿書類の調査、提示の要求があったのに、これに応じなかったため、被告において、原告による帳簿書類の備付け、記録及び保存が大蔵省令の定めるところに従ってされているか否かを確認し得なかったことが認められるから、被告がそれを所得税法一五〇条一項一号の事由に該当するとしてした本件青色取消処分は適法である。
2(一) 原告は、小野寺係官及び被告のした本件調査には、調査権限の違法な行使又は濫用があり、それとの対応において、原告には青色申告承認の取消処分を受ける事由が何ら存在しないとして、種々主張するので、以下順次判断する。
(1) 原告は、所得税法二三四条一項の質問検査は任意調査であるから原則として事前通知を必要とするところ、小野寺係官が昭和五三年一〇月四日及び昭和五四年一一月九日に調査のため原告宅を訪れた際は、事前通知なく、しかも昼食時の繁忙時間帯に突然訪れて、帳簿書類の提示その他の調査協力を求めたもので、調査権限の違法な行使である旨主張する。
しかしながら、同条に基づく質問検査権の行使としての税務調査を実施するに当たり、原則として事前通知が必要であると解すべき根拠はなく、右の通知をするか否かは、質問検査権行使の方法、程度、時期等その実施に係る実定法上特段の定めのない細目の一として、調査の必要と相手方の利益とを衡量して社会通念上相当と認められる範囲において、権限を有する税務職員の合理的な裁量に委ねられたものと解すべきである。そして、税務職員が事前通知なく調査を実施しようとしたとしても、被調査者において直ちに調査を受けることのできないやむを得ない理由がない以上、調査に応ずべきものであり、右のやむを得ない理由があって、合理的な期間内で調査に応ずることの可能な日時を告げ、調査期日の変更を求めたにもかかわらず、税務職員において理由なくこれに応じないなどの特段の事情があるときは格別、そうでない限り、右の事前通知なく調査を実施しようとすることを違法とすべき根拠はないというべきところ、右二の2及び6の事実によれば、昭和五三年一〇月四日の調査の際には、小野寺係官は原告の申立てに応じて調査時刻を変更し、変更後の時刻に原告宅に赴いているのであり(その際原告が在宅しなかったため、調査ができなかった。)、また、昭和五四年一一月九日の調査の際には、原告が調査期日の変更を求めるなどの対応をせず、やむを得ない理由もないのに調査自体を拒否した(結局、調査はできなかった。)ものであるから、小野寺係官による右各調査に主張の違法はない。
(2) また、原告は、質問検査権の行使としての税務調査において被調査者から調査理由の開示を求められた場合、税務職員は特別の事情のない限りこれを明示すべき法的義務を有し、これを明示しない調査は違法となるところ、小野寺係官は原告の要請にもかかわらず調査理由を秘匿し続けたのであるから、原告が小野寺係官に再三調査理由の開示を求め、小野寺係官の要請に直ちに従わなかったことも、調査に対する非協力、妨害とはし得ない旨主張する。
しかしながら、右二の1及び3の事実によれば、小野寺係官は、最初の実質的な調査期日となった昭和五三年一〇月三〇日の調査において、原告の調査理由開示の要請に対し、原告について長期間調査が行われていないので申告内容の適否を確認する必要がある旨及び原告宅の取得資金について疑問点がある旨を述べて、被告から伝達を受けた全部ではないとしても、調査理由を開示しているのであり、小野寺係官が調査理由を秘匿し続けたとする原告の主張は、その点において既に失当であるのみならず、所得税法二三四条一項に基づく質問検査権の行使としての税務調査を実施するに当たり、被調査者から要請があった場合に調査理由を開示すべきか否かについても、質問検査権行使の方法、程度、時期等のその実施に係る細目の一として、調査の必要と相手方の利益とを衡量して社会通念上相当と認められる範囲において、権限を有する税務職員の合理的な裁量に委ねられたものと解すべきであるところ、本件調査において、小野寺係官が、右の程度の調査理由を告げて、調査に対する原告の協力を求めたことに、右の裁量の逸脱があるものとは到底解し得ないから、小野寺係官による調査に主張の違法はない。
(3) 原告は、さらに、反面調査は、これを行わなければ調査が完了しない場合に限って許されるものである(特に、銀行調査については、通達によって、これが許される場合が厳格に定められている。)とした上、小野寺係官は、昭和五三年一〇月三〇日に、原告から帳簿書類の提示を受けたにもかかわらず、突然原告の仕入先の店名、住所等をメモし出すという反面調査の準備と思われても仕方のない行動をしたから、反面調査の必要性の全くない右段階でのこのような違法の疑いのある行動に対し、原告がその理由を質問することを調査に対する非協力とすることはできないし、また、被告及び小野寺係官が昭和五四年九月に行った王子信金に対する原告の預金の調査は、銀行調査を行う必要が全くなく、右通達の要件の存在しないのに行われた違法なものであると主張する。
しかしながら、右二の3の事実によれば、昭和五三年一〇月三〇日の調査の際、小野寺係官が再三帳簿の提示を求めたにもかかわらず、原告はその提示に一切応じないまま、一綴の領収書だけを小野寺係官に手渡したので、小野寺係官はその内容をメモし出したのであって、このように税務職員の調査に対する非協力が当初から継続し、所得算出の基礎となる計算関係が一切不明の状況の下において、右計算関係の一端を窺い知ることのできる原始伝票がようやく提示された場合に、とりあえずその内容をメモすることが直ちに反面調査の準備であるとはいい難いから、原告の右主張はその点において既に失当であるし(仮に、右のメモをすることが反面調査の準備の側面を有するとしても、それが右の事情の下でされたものである以上、次に述べる、反面調査の実施に関し税務職員に認められる裁量の範囲を逸脱するものとはいい難い。)、また、所得税法二三四条一項に基づく質問検査権の行使としての反面調査を実施するか否か、実施するとして、その時期をいつとし、その対象者をどの範囲とするかについても、質問検査権行使の方法、程度、時期等のその実施に係る細目の一として、調査の必要と相手方の利益とを衡量して社会通念上相当と認められる範囲において、権限を有する税務職員の合理的な裁量に委ねられたものと解すべきであるところ、右二の3ないし5の事実によれば、被告及び小野寺係官は、原告の本件調査に対する非協力の意思が相当程度明確となった段階で、原告の取引先の多くが明らかにならなかったために、取引金融機関である王子信金に対する反面調査を実施したのであるから、右の反面調査の実施が、その時期、方法、程度において被告に委ねられた右の裁量を逸脱するものとは到底解し得ず、したがって、被告及び小野寺係官の調査に主張の違法はない。
(4) そうすると、本件調査に調査権限の違法な行使又は濫用があり、それとの対応において、原告に青色申告承認の取消処分を受ける事由は何ら存在しないとする原告の主張は、いずれも失当である。
(二) また、原告は、小野寺係官から帳簿書類の提示要求のあった調査期日のうち、昭和五三年一〇月三〇日には要求に係る帳簿書類を全部提示し、小野寺係官はこれを逐一点検、確認したとし、昭和五四年一一月九日には原告が調査理由の開示を要請すると小野寺係官はすぐに帰ってしまったとして、原告が帳簿書類の提示を拒否した事実は存在しない旨主張するが、右二の3及び6のとおり、原告は、昭和五三年一〇月三〇日及び昭和五四年一一月九日とも、小野寺係官の帳簿書類提示の要請を拒んでその提示をしなかったものであるから、右主張は失当である。
(三) さらに、原告は、本件青色取消処分に対する異議申立ての際に調査に当たった松尾係官に対し、昭和五一年ないし昭和五三年分の帳簿書類を提示し、松尾係官はこれを精査したとして、被告は、異議申立ての段階で、原告が帳簿書類を備え付け、記録し、保存していることを確認しているから、本件青色取消処分は異議決定の際に取り消されるべきものであったのであり、その後においてもこれを維持することは違法である旨主張する。
しかしながら、右1のとおり、所得税法一五〇条一項一号にいう帳簿書類の備付け、記録又は保存が大蔵省令に定めるところに従って行われていない場合とは、青色申告者が、税務署長又はその所部職員による右帳簿書類の調査、提示要求に応じないため、税務署長において、右の帳簿書類の備付け、記録及び保存が大蔵省令の定めるところに従ってされているか否かを確認し得ない場合を含むものと解すべきところ、被告は、原告が被告所部職員である小野寺係官による帳簿書類の調査、提示要求に応じなかったため、被告において、原告による帳簿書類の備付け、記録及び保存が大蔵省令の定めるところに従ってされているか否かを確認し得なかったとの事実が同号の事由に該当するとして、本件青色取消処分をしたものであるから、仮に、右処分後に原告が被告所部職員である松尾係官に帳簿書類を提示した事実が存在するとしても、そのことによって、所定の取消事由に基づく本件青色取消処分が違法となることはないというべきであり、したがって、原告の右主張はそれ自体失当である。
四 本件各更正の適否について
1 調査手続の適否について
原告は、小野寺係官及び被告のした本件調査に関し、調査権限の濫用又は違法な行使がある旨並びに要件が存在しないにもかかわらず、反面調査、特に銀行調査を行った違法がある旨主張するが、税務調査(手続)の違法は一般に更正の違法を招来するものとは解し難いのみならず、本件調査に主張の違法がないことは、右三の2の(一)のとおりである。
2 雑所得の金額について
係争各年の原告の雑所得の金額が、昭和五一年分は二六万四三〇〇円、昭和五二年分は二五万四六九二円、昭和五三年分は二〇万三四六三円であったことは当事者間に争いがない。
3 事業所得の金額について
(一) 推計の必要性
(1) 被告が推計により係争各年分の原告の事業所得の金額を算出して本件各更正を行ったことは当事者間に争いがない。しかして、右二で認定した事実によれば、原告は、被告所部職員である小野寺係官による本件調査に際して、要求のあった帳簿書類の提示をせず、非協力的態度に終始したものであるところ、《証拠省略》によれば、本件調査に対する原告の対応が右のようであったため、被告は、係争各年分の原告の事業所得の金額を実額で把握することができず、右各金額を推計により算出して本件各更正に及んだことが認められ、右事実関係によれば、本件各更正時において、推計の必要性があったことは明らかである。
(2) 原告は、遅くとも異議申立ての際には、被告は、原告が備え付け、記録し、保存していた帳簿書類に基づいて実額により原告の事業所得を算出し得たはずであるから、本件各更正は異議決定において取り消されるべきであった旨主張する。しかしながら、処分の適否は処分当時の事由に基づいて判断されるべきものであって、仮に、異議申立時に、被告が原告の帳簿書類に基づいて実額により原告の所得を算出し得たとしても、それがため、本件各更正時に存在した推計の必要性が遡って消滅するわけではないから、異議審査の結果、本件各更正における原告の事業所得の認定が過大であったとしてその過大な部分が取り消されることは格別、推計に基づく更正が単に推計であることのみで違法として取り消されることはないものというべきであり、したがって、右主張は、それ自体失当である。
(二) 推計の合理性
被告が本訴において主張する係争各年の原告の事業所得の金額は、その算出方法自体が資産負債増減法による推計に係るものであるとともに、その算出過程において調整項目加算額として算入される生活費の額についても、総理府統計局発行の家計調査年報による統計値を用いた推計により算出しているので、以下、右の推計手法について合理性の有無を検討する(なお、原告が被告の推計に合理性がない根拠として主張する事由のうち、その余の点については、後記(四)において個別に検討する。)。
(1) 右二で認定した事実によれば、原告は、被告所部職員である小野寺係官による本件調査に際して、要求のあった帳簿書類の提示をせず、非協力的態度に終始したものであるところ、証人小野寺修の証言及び弁論の全趣旨によれば、本件調査に対する原告の対応が右のようであったため、被告は、王子信金に対する反面調査によって係争各年の期首及び期末における原告及び原告の家族名義の預金額を把握し得たのみで、原告の係争各年分及びその他の年分の事業所得に係る売上金額、仕入金額、必要経費の額等については、原告に対する調査によって確認し得なかったのみならず、原告の取引先等のほとんどが判明していなかったので、これに対する反面調査によって右の各額あるいはその一の額を把握することも奏功しなかったことを認めることができる。
しかして、事業所得を推計によって算出する場合に、比率法、就中、同業者比率法が最も多く用いられ、また、推計の方法として利点を多く備えていることは当裁判所に顕著であるが、比率法を用いるためには、その前提として、少なくとも、納税者の当該年分の売上金額、仕入金額等のうちの一について、その全部又は主要な一部が確実に把握されていることを必要とするところ、右のとおり、原告の係争各年分の事業所得に係る売上金額、仕入金額等はいずれも十分に把握されていなかったのであるから、本件において、比率法はとり得なかったものといわざるを得ない。
これに対し、被告が本訴において用いた資産負債増減法は、原告の係争各年の期末資産額と期首資産額との差額(当該年の資産の増加額)から当該年の期末負債額と期首負債額との差額(当該年の負債の増加額)を控除して得られた金額(当該年の純資産の増加額)に、調整項目加算額として、生活費及び家事関連費並びに支払税額及び支払保険料等の所得の処分に相当する事由に係る金額を加え、調整項目減算額として、預金利息等の事業所得以外の所得に係る金額、及び事業所得について必要経費とされ実質的な非課税部分に当たる事業専従者控除額を差し引く方法によって原告の事業所得を算出するものであって、要するに、当該年の純資産の増加額と所得の処分に相当する額とは、当該年の事業所得をもってこれに充てられた筈であるとの考えを基礎とし、他にもこれに充てられた筈の事業所得以外の所得があればその分を差し引き、また、実質的に非課税部分となる金額も差し引いて修正を施すものであるといえる。そして、右の方法は、売上金額、仕入金額、必要経費の額等、事業所得の金額の算出において通常その基礎とされる項目を離れて事業所得の金額を算出する点において、やや観念的となるきらいがあるものの、考え方としては合理的であり、事業所得がその所得の大部分を占める納税者について、期首及び期末の資産及び負債中の各科目並びに調整項目加算額及び調整項目減算額中の各項目の金額が正確に算定され又は合理的に評価される限り、比率法により得ない場合の推計方法としては合理性を有するものということができる(原告の係争各年における期首及び期末の資産及び負債中の各科目並びに調整項目加算額及び調整項目減算額中の各項目の金額については後記認定のとおりであり、正確に算定され又は合理的に評価することが可能であるということができる。)。
(2)ア 原告の所帯の人員構成が、昭和五三年二月までは原告、花子、一郎、春子、二郎、松夫の六名、同年三月以降は松夫を除く五名であったことは当事者間に争いがなく、また、原告が昭和五一年八月までは本件借家に居住し、同年九月以降は原告宅に居住していたことは右一のとおりである。
しかるところ、被告が係争各年の原告の生活費の額について行った推計は、総理府統計局発行の右各年分の家計調査年報の第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部を用い、同表の消費支出の額から家賃地代額(昭和五一年一月から八月までは家賃地代額及び設備修繕代)を控除した額に原告の所帯人員数(昭和五三年二月までは六名、同年三月以降は五名)を同表の所帯人員数で除した数を乗じて算出した一か月当たりの生活費の額に、当該年に属する月数を乗じて算出したものである。
そして、弁論の全趣旨によれば、家計調査年報は、統計法二条の指定統計とされている家計調査(「統計法第二条の規定に基づき指定」(昭和二七年行政管理庁告示第一号))の結果について刑行されているものであること、その第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部は、東京都区部、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、北九州市及び札幌市の所帯を対象とするものであることが認められるところ、右家計調査は、国民生活における家計収支の実態を毎月明らかにすることを目的とし、国が、家計調査規則に基づいて、所定の所帯を対象に、毎月の収入及び収支に関する事項、所帯及び所帯員に関する事項、住居に関する事項等を調査し、その結果を公表するものであって、右の家計調査の性格からして、その調査結果は、対象所帯の標準的な家計収支等に関する統計として正確性の高いものと認めることができる。
イ ところで、後記(四)の(3)のイのとおり、右家計調査年報に基づく推計によって算出される係争各年の原告の生活費の具体的な金額は約三五〇万円前後となるところ、右推計は、原告が、その居住する東京都区部において標準的な消費支出額により標準的な生活を営んでいたことを前提とするものであり、右の前提事実については被告がこれを立証すべきものであるが、右事実の性質上、被告においてこの点を立証し尽くすことには困難が伴う反面、原告がかかる事実の不存在を立証することは容易であること、推計という手法は、その対象者についてのある事象の値を、対象者と共通性を有するものと合理的に認められる多数の者の同様の事象の平均値ないし標準値に求めることに本来的になじむものであること、被告において推計により原告の事業所得の算出を行わざるを得ないのは、税務調査に対する原告の非協力に起因するものであることなどを考慮すると、原告が標準的ないしそれ以上の生活を営んでいたことが窺える程度の事実の存在が認められれば、特段の反対事実が認められない限り、右の前提事実の立証があったものと解すべきである。
そこで、これを本件についてみるに、右一の事実に、《証拠省略》を併せ考えると、原告は、昭和五〇年一一月に本件建物の敷地である宅地二筆(面積合計六六・九一平方メートル)の所有権及び宅地一筆(面積六八・一七平方メートル)の共有持分権(持分割合二万〇四五一の七〇〇二)を代金合計一八二〇万六八九四円で買い受け、昭和五一年八月に本件建物に建築代金八四二万二二〇〇円で新築し、さらに昭和五三年四月に中野区中野五丁目所在の鉄筋コンクリート造陸屋根地下三階付一〇階建建物の区分所有権(床面積四二・六三平方メートル。「レストランオレンジ」の店舗)を代金二五〇〇万円で買い受けたほか、昭和五四年九月に東京都世田谷区若林五丁目所在の宅地一筆(面積三六・一二平方メートル)の所有権及び宅地一筆(面積四二・二四平方メートル)の共有持分権(持分割合五分の一)並びに二階建共同住宅一棟(延床面積四七・九八平方メートル)を代金約二〇〇〇万円で買い受け、さらに、同年一一月に埼玉県川越市南台二丁目所在の宅地二筆(面積合計三三・二五平方メートル)を代金二五〇〇万円で買い受けたことを認めることができるところ、《証拠省略》によれば、本件建物及びその敷地並びに「レストランオレンジ」の店舗の取得資金は王子信金からの借入金をもって充て、また、その余の土地建物の取得資金の大部分も金融機関からの借入金によって賄った事実が認められるが、そうであるとしても、係争各年を含む前後約四年の間に、いずれも多額の資金を投じて矢継ぎ早に多くの不動産を取得した事実に照らせば、原告がその居住する東京都区部において標準以上の生活を営んでいたことを推認して差し支えないというべきである。
原告は、原告家族はもともとつましい生活を送っていた上に、係争各年には銀行からの借入金の返済のため一層生活費を切り詰めていた旨主張し、《証拠省略》中には、係争各年当時の原告の所帯の生活状況として、家財道具はあまりなく、食費、水道光熱費等は飲食店営業の家事消費で賄い、衣料は貰い物などで間に合わせてほとんど買わず、子供の教育費にも最低限度の出費しかせず、交際費、遊興費等の支出もほとんどなく、借入金の返済に追われてつましい生活をしていたので、年間の生活費は一〇〇万円程度であったとする供述部分があるが、右各供述部分は、これを裏付けるに足りる証拠がないばかりか、(《証拠省略》によれば、昭和五二年一〇月当時の二男二郎の保育料が月二八〇〇円であった事実が認められるが、右事実が直ちに右各供述部分を裏付けるものとはいえない。)、その供述内容に鑑み、また、右の原告の不動産取得状況に徴し、さらに、《証拠省略》によれば、原告は係争各年の確定申告に際し、青色申告決算書の月別売上金額の家事消費等の項にその金額を記載していないことが認められることに照らして、到底措信し得ない。
ウ また、右アの生活費の額の推計は、家計調査年報の第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部における一所帯の消費支出額に基づいて原告の生活費の額を推計する過程において、同表の平均所帯人員数(昭和五一年三・八二人、昭和五二年三・七八人、昭和五三年三・七五人)と原告の所帯人員数(昭和五一年一月から昭和五三年二月まで六人、同年三月以降五人)との相違に基づく修正をするに当たり、原告の所帯人員数を同表の平均所帯人員数で除した割合と同一割合で生活費の額が増加するものとする処理をしているところ、生活費の額は、その中に各所帯員に共通の経費があるために、必ずしも所帯人員が増加する割合と正比例して増加するものではないということも一応いい得るが、所帯人員が増加すれば、生活費の額が増加すること自体は明白なことであり、かつ、生活費中に右の共通経費に相当する部分が占める割合がどれほどであるかを合理的に推知する方法も見当たらないのであるから、右の推計に当たってこの点を捨象することにも一応の合理性が認められるものというべきである。
(3) したがって、資産負債増減法を用いた推計により原告の事業所得の額を算出し、かつ、その算出過程において調整項目として加算される原告の生活費の額についても、総理府統計局発行の家計調査年報による統計値を用いて推計により算出することについては合理性があるものと認められる。
(三) 原告の実額主張について
原告は、本訴について、係争各年分の原告の事業所得の金額は実額で算出することが可能であり、右各事業所得に係る売上金額、仕入金額、経費の額及び事業所得の金額は別表第七のとおりであると主張するので、以下、判断する。
(1) 売上金額について
原告の事業所得に係る売上金額に関し、甲第一、第四、第七号証(係争各年の「金銭出納帳」)には、その収入金額欄中に、摘要を「上様」として係争各年の各営業日ごとに一日分の売上金額としての金額の記載があり(ただし、弁論の全趣旨によれば、甲第七号証には、「レストランオレンジ」の営業を開始した昭和五三年五月分以降についても、「レストランチェリー」の営業に係る売上金額としての金額の記載があるのみで、「レストランオレンジ」の営業に係る売上金額の記載はないことが認められる。)、また、甲第八号証(昭和五三年分の「元帳」)には、その売上勘定の貸方欄に、同年分の各月ごとに一月分の合計売上金額(同年五月分以降については「レストランオレンジ」の営業に係る売上金額を含む。)としての金額の記載があり、さらに、甲第五八号証(昭和五二年一月分の「入出金伝票」)のうちには、同月の各営業日ごとに一日分の売上金額としての金額の記載がある入金伝票二四葉が含まれている。
そこで、まず、右各資料によって原告の事業所得に係る売上金額の実額を把握することができるか否かを検討する。
ア 《証拠省略》によれば、係争各年中の原告「レストランチェリー」に係る売上金額の記帳処理等に関し、次の事実が認められる。
a 「レストランチェリー」に係る営業内容は、客に店舗で飲食させてその場で飲食代金を受領するもの(以下「店売り」という。)と出前をするものとに分かれ、後者はさらに、飲食代金を出前時に受領するもの(以下「現在出前」という。)、掛売りをして月単位でまとめて飲食代金を受領するもの(以下「掛売り出前」という。)及び王子信金の職員に対する出前であって飲食代金はその都度王子信金の原告の普通預金口座に入金させるもの(以下「王子信金出前」という。)とに分かれること、
b 店売りについては、客の注文の際、甲第五四号証の一の様式の伝票(以下「売上伝票」という。)に品名、数量等を記載して客に渡し、代金の支払の際、売上伝票を回収し、代金は備付けのレジスターに保管する(ただし、レジスターによる売上の記録はとっていない。)こと、
c 出前については、客の注文の際、甲第五七号証の様式の「出前ノート」の当該営業日の欄に、シンが注文先、品名、数量を記載し、その後、現金出前については配達者が代金を受領した上「出前ノート」にサインをしてその旨を明らかにしておき、掛売り出前については配達者が出前をした際に注文者から甲第五四号証の二の様式の伝票(以下「掛売り伝票」という。)に品名、数量、金額の記載を受けて持ち帰った上、「出前ノート」には「伝」と記載しておくが、王子信金出前については単に配達者が出前するに止まること、
d 各日の営業終了後、シンにおいて、店売り分については売上伝票に基づいて売上金額を集計し、(なお、証人甲野花子の証言中には、店売り分の売上金額につき、売上伝票の集計額とレジスター中の現金在高とを照合していた旨供述する部分があるが、《証拠省略》によれば、原告は、ほぼ毎日、米、卵等の仕入を行い、その代金は仕入の都度レジスター中の売上金をもって支払っていたことが認められ、右事実に照らして、同証人の右供述部分は直ちに措信し難い。)、現金出前分については「出前ノート」の注文時の記載に基づき売上金額を集計して配達者の集金した金員と照合し、掛売り出前については「出前ノート」の注文時の記載に基づいて集計した売上金額と掛売り伝票に基づいて集計した売上金額とを照合し、王子信金出前については「出前ノート」の注文時の記載に基づいて売上金額を集計した上、出前ノートの当該営業日の欄の末尾に、店売り分、現金出前分、掛売り出前分、王子信金出前分のそれぞれの売上金額とそれを合計した当日の合計売上金額とを記載し、さらに当日の合計売上金額については入金伝票を起こしてこれに記載し、花子が作成した甲第五九号証の様式の「現金出納帳」の当該営業日の欄にも記載しておくこと、
e 原告は、一ないし二か月おきに、「レストランチェリー」の営業に係る入出金伝票、仕入や経費の支払の際に受け取った領収書類及び花子の作成に係る「現金出納帳」を持参して、埼玉県入間郡日高町に居住し経理事務に携わっている姉の乙山梅子(以下「梅子」という。)方を訪れ、右「現金出納帳」を示し、また、入出金伝票及び領収書類を梅子に預けて、「金銭出納帳」、「元帳」及び「仕入帳」の前回訪問時以降当該訪問時までの分の記帳をまとめてしてもらっており、原告自身又は花子は、右「金銭出納帳」、「元帳」及び「仕入帳」の記帳をしていなかったこと、
f 原告は、「レストランチェリー」の営業に係る売上金の一部を、ほぼ一週間おきに王子信金の普通預金口座に預け入れ、月末に必要な額を払い戻して支払に充てていたが、右の王子信金との間の取引にともなう金員の出入りについては、入出金伝票を起こさず、また、少なくともその全部は甲第一、第四、第七号証(係争各年の「金銭出納帳」)に記載されてはいないこと、
以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
なお、《証拠省略》によれば、昭和五一年中の「洋食チェリー」の営業に係る売上金額の記帳処理についても概ね右と同様であったことが認められるが、「レストランオレンジ」の営業に係る売上金額に関しては、《証拠省略》中に、同店舗を担当していた従業員が毎営業日の売上金額から仕入金額等を差し引いた残額を、支払伝票、領収書類等とともに、翌日原告の許に持参していた旨の供述があるものの、右供述によっても、売上金額の記帳処理の仕方、内容等が明らかであるとはいえず、他に、右の点を明らかにすべき証拠はない。
イ しかして、右アの各事実と甲第一、第四、第七号証の記載によれば、右甲号各証は、「金銭出納帳」との表題の下に「レストランチェリー」の営業に係る日々の現金の収入及び支出を記載した体裁のものであるが、現実には一ないし二か月分をまとめて一度に記載したものであり、また、右営業に係る現金収支の全部が記載されているわけではなく、さらに、甲第七号証に至っては日々の現金残高の記載すらないことが認められ、日々の現金取引に伴う金銭の出納を記録し、その残高と現金の手許有高とを突き合わせて、記帳の正確性又は金銭出納の不正の有無を確認するという金銭出納帳本来の機能を全く果たしていなかったことが明らかであり、したがって、右甲号各証に正式な帳簿たる金銭出納帳としての信頼性を認めるわけにはいかない。
また、右アの各事実によれば、右甲号各証に記載されている売上金額は花子の作成した入金伝票に基づき、これを転記したにすぎないものであることが認められるところ、右入金伝票の記載に直ちに信用性を認めることができないことは後記ウのとおりであるのみならず、右甲号各証には、収入金額又は支出金額中に後日追加したことが窺われる鉛筆書きの記載があるほか、甲第一、第七号証については、随所に違算があり、しかも、甲第一号証中の九月分の月計収入金額のように違算額が大きくて不実記載の疑いが抱かれるようなものすらあって、その記載内容全体について信用性が乏しく、さらに、甲第七号証中には、「レストランオレンジ」の売上金額の記載がないのであるから、右甲号各証に基づいて係争各年の原告の事業所得に係る売上金額の実額を認定することは到底できないものというべきである。
ウ 次に、右アの各事実によれば、花子の作成した入金伝票中には、「レストランチェリー」の営業に係る各営業日の売上金額としての金額の記載があるものが含まれていることが認められるが、《証拠省略》中には、右入金伝票は全部保存されている旨供述する部分があるにもかかわらず、甲第五八号証中に含まれる昭和五二年一月分の二四葉を除くほか、右入金伝票は本件の証拠として提出されていない。また、右の点は措くとしても、甲第五八号証中に含まれる出金伝票の中には、伝票の用紙が同一日付の他の出金伝票と相違していて、当該日付に作成されたものであるかどうか疑わしいものが含まれており、さらに、右アの各事実と甲第五八号証の記載とによれば、右入金伝票は、花子が、売上伝票、掛売り伝票及び出前ノートに基づいて、店売り分、現金出前分、掛売り出前分及び王子信金出前分の各売上金額を集計した上、さらにこれを合計して算出した一営業日の合計売上金額のみが記載されているものであって、花子による集計計算の結果に依存した二次的な資料であるにすぎないことが認められるから、右売上伝票、掛売り伝票、出前ノート等の原始資料との照合を経なければ、直ちに右入金伝票の記載の信用性を認めることはできないというべきところ、係争各年分の右各原始資料はいずれも証拠として提出されていない。したがって、右入金伝票の記載に基づいて係争各年の原告の事業所得に係る売上金額の実額を認定することもできないといわなければならない。
エ さらに、甲第八号証の売上勘定の貸方欄に記載のある、昭和五三年分の各月ごとの合計売上金額の記載については、誰がいついかなる資料に基づいて集計記載したものであるかを明らかにすべき証拠がないから、右記載に基づいて係争各年の原告の事業所得に係る売上金額の実額を認定することはできない。
オ そうすると、前掲各資料によって係争各年の原告の事業所得に係る売上金額を実額で把握することはできないものといわなければならず、また、他に原告主張の売上金額が実額であること認めるに足りる証拠はない。
なお、《証拠省略》中には、係争各年の原告の米の仕入数量を基に推計した年間売上金額は、昭和五一年分については甲第一三四ないし第一三六号証のとおり一九七九万三三九八円、昭和五二年分については甲第一三四、第一三七号証のとおり二八四四万一六八七円、昭和五三年分が甲第一三四、第一三八、第一三九号証のとおり四五一一万一六四八円であって、右金額は、原告主張の係争各年の売上金額に近似するから、原告主張の売上金額が実額であることを裏付ける旨供述する部分が存在する。しかしながら、そもそも主張に係る売上金額が実額であることを認めるに足りる証拠がない場合に、その金額を独自の方法によって推計した結果がその主張に係る売上金額に近似するからといって、それだけで主張に係る売上金額が実額であることになるわけでないことは明らかである。のみならず、《証拠省略》によれば、右の推計の方法は、係争各年の米の仕入数量と自家消費量のほか、係争各年の原告の営業に関する、米を使用する売上品目の商品構成及び売上比率並びに各売上品目ごとの米の使用量、米を使用しない売上品目の商品構成及び売上比率、各売上品目ごとの販売単価等を推計計算の基礎として用いるものであることが認められるから、これらの項目に係る数値の正確性が右推計の合理性の前提となるべきところ、右尋問結果中の右の正確性に関する供述部分は、これを裏付ける的確な証拠が全くないことに照らして措信できないし、他に右各項目の数値の正確性を首肯するに足りる証拠もないから、右推計に合理性を認めることもできない。したがって、右の原告本人の供述をもって、係争各年の原告の事業所得に係る売上金額の実額を認定し、又はそれを支える証拠とすることはできない。
(2) 仕入金額及び経費の額並びに事業所得の金額について
原告主張の係争各年の売上金額がその実額であることを認めるに足りる証拠がないことは右(1)のとおりである。
ところで、事業所得の金額は、一般に、売上金額から仕入金額及び経費の額等を控除することによって算出されるものであり、原告の実額主張も、売上金額、仕入金額及び経費の額をそれぞれ実額で把握し得ることを前提として、右の所得計算の方法に従ったものであるから、そのうちの売上金額の実額を立証することができないとすれば、仮に、仕入金額及び経費の額の実額を立証することができたとしても、事業所得の金額の実額を算出するに由ないものであることは明らかである。
したがって、仕入金額及び経費について、原告主張の実額を認定することができるか否かを判断するまでもなく、係争各年の事業所得に関する原告の実額主張は失当である。
(四) そこで、以下、被告の主張する資産負債増減法の手法に従い、また生活費の額について、家計調査年報の第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部を用いた推計をすることとして、係争各年の原告の事業所得の金額を算出することとする。
(1) 資産科目
ア 別表第三の一ないし三の各資産中、預金科目を除くその余の科目に係る期首及び期末金額は当事者間に争いがない。
イ 預金科目に係る金額について
a 王子信金に対する別表第四の普通預金、定期積金及び定期預金が存在していたことは当事者間に争いがない。
b しかして、同表の預金中には、原告名義又は原告の営業に係る店舗の名称を肩書きとした原告名義の預金のほか、花子、一郎、春子又は二郎名義の預金が存在するところ、原告は、花子は原告の事業に係る青色事業専従者給与の一部を自己名義の預金とし、また、一郎、春子及び二郎も、それぞれ、原告の友人、知人などから受領した小遣い、祝金等の一部を各自の名義の預金としていた旨主張する。
しかしながら、《証拠省略》によれば、別表第四の順号14の原告名義の定期積金は同表の順号44の二郎名義の定期積金に、同表の順号15の原告名義の定期積金は同表の順号48の花子名義の定期積金に、同表の順号16の原告名義の定期積金は同表の順号41の春子名義の定期積金に、同表の順号17の原告名義の定期積金は同表の順号49の花子名義の定期積金に、同表の順号62の原告名義の定期積金は同表の順号71の一郎名義の定期積金に、同表の順号63の原告名義の定期積金は同表の順号72の一郎名義の定期積金に、それぞれ名義変更されたこと、昭和五一年七月三一日に別表第四の順号1の原告名義の普通預金口座から払い戻された二〇万八五六〇円のうち、二万六〇〇〇円が同表の順号49の花子名義の定期積金に、一万円が同表の順号41の春子名義の定期積金にそれぞれ入金されていること、昭和五二年一〇月三〇日に同表の順号1の原告名義の普通預金口座から払い戻された二六万九〇〇〇円のうち、二万七〇〇〇円が同表の順号51の花子名義の定期積金に、三万円が同表の順号50の花子名義の定期積金にそれぞれ入金されていること、昭和五三年六月三〇日に同表の順号1の原告名義の普通預金口座から払い戻された二六万九七〇〇円のうち、二万六七〇〇円が同表の順号53の花子名義の定期積金に、二万七〇〇〇円が同表の順号51の花子名義の定期積金に、三万円が同表の順号50の花子名義の定期積金に、三〇〇〇円が同表の順号39の一郎名義の定期積金に、三〇〇〇円が同表の順号42の春子名義の定期積金に、三〇〇〇円が同表の順号46の二郎名義の定期積金にそれぞれ入金されていること、同年七月一三日に同表の順号1の原告名義の普通預金口座から払い戻された三七万七二〇〇円のうち、二万六四〇〇円が同表の順号52の花子名義の定期積金に、五〇〇〇円が同表の順号54の花子名義の定期積金に、一万円が同表の順号45の二郎名義の定期積金にそれぞれ入金されていること、同年九月七日に同表の順号2の原告名義の普通預金口座から払い戻された二五万三〇〇〇円のうち一万円が同表の順号45の二郎名義の定期積金に入金されていること、昭和五一年一月一六日に同表の順号73の一郎名義の定期預金が解約され、元利金一一三万三五六五円のうち、一一〇万円が後記別表第五の順号1の原告の王子信金に対する借入金の返済に充てられ、残額は別表第四の順号1の原告名義の普通預金口座に入金されていること、同年九月六日に同表の順号44の二郎名義の定期積金、同表の順号48の花子名義の定期積金、同表の順号79の二郎名義の定期預金、同表の順号85の花子名義の定期預金がいずれも解約され、右元利金合計三五六万六二七七円(定期積金の給付補填備金を含み、源泉税額を除く。)のうち一一六万円が後記別表第五の順号2の原告の王子信金に対する借入金の返済に、二四〇万円が同表の順号1の原告の王子信金に対する借入金の返済にそれぞれ充てられ、残額が別表第四の順号1の原告名義の普通預金口座に入金されていること、同年一〇月三〇日に同表の順号72及び順号71の一郎名義の定期預金、同表の順号86の花子名義の定期預金、同表の順号76及び75の春子名義の定期預金、同表の順号41の春子名義の定期積金が解約され、右元利金合計(定期積金の給付補填備金を含む。)に同日解約された同表の順号56の原告名義の定期預金の元利金を加えた総計一二三万九八三四円のうち、一二一万円が別表第五の順号2の原告の王子信金に対する借入金の返済に充てられ、残額が別表第四の順号1の原告名義の普通預金口座に入金されていること、昭和五二年八月一六日に同表の順号89の花子名義の定期預金が解約され、その元利金に、同日解約された同表の順号65の原告名義の定期預金の元利金を加えた合計二〇九万八二九五円のうち、二〇〇万円が別表第五の順号2の原告の王子信金に対する借入金の返済に充てられ、残額が別表第四の順号1の原告名義の普通預金口座に入金されていること、一郎は昭和四二年九月四日生まれ、春子は昭和四五年七月一六日生まれ、二郎は昭和四六年一一月二一日生まれで係争各年当時はいずれも小学生又は就学前であって、各自の名義の預金の原資となるような収入はなかったこと、花子は、自己名義の預金についてその金額を把握しておらず、これに係る通帳や印鑑は原告が保管していたこと、を認めることができ、右事実関係を総合すれば、別表第四の花子、一郎、春子又は二郎名義の預金は、原告が自己名義の預金と一体として管理運用していたものであって、原告に帰属するものであると認められる。証人甲野花子の証言中には、同人が受領した原告の事業に係る青色事業専従者給与の一部を定期積金の資金としていた旨供述する部分があるが、前掲各証拠に照らして措信し得ない。
なお、原告は、花子、一郎、春子及び二郎が、自己の金員を原告名義で預金していたとも主張するが、原告は、右主張以上に、別表第四の原告名義の預金のうち、花子、一郎、春子又は二郎が原告名義でしたとする預金を具体的に特定した主張をしないし、この点に係る立証もないから、右事実は存在しないものとして扱うほかはない。
c そうすると、昭和五〇年ないし昭和五三年の各一二月三一日現在の原告の預金残高は、別表第四の該当欄の合計金額のとおりであり、係争各年の期首及び期末における原告の預金額は別表第三の一ないし三のとおりとなる(なお、原告は、別表第四の預金の全部が原告の事業所得によるものであることを争うが、その趣旨は、右預金中に露崎芳雄若しくは西口楢敏からの借入金を原資とするもの又は松夫からの受領金を原資とするものが含まれるということにあるものと解されるところ、これらの点については後記(2)のイのb及びc並びに(3)のイのbで検討する。)。
(2) 負債科目
ア 別表第三の一ないし三の各負債中、借入金科目を除くその余の科目に係る期首及び期末金額は当事者間に争いがない。
イ 借入金科目に係る金額について
a 《証拠省略》を総合すると、原告が王子信金に対し、昭和五〇年ないし昭和五三年の各一二月三一日現在において、別表第五の右各日現在残高欄記載の借入金債務を負担していたことが認められる。
b 原告は、露崎芳雄から、昭和五〇年一〇月五日に一五〇万円、昭和五一年四月二六日に一五〇万円、同年八月二三日に一〇〇万円、昭和五三年三月二五日に二〇〇万円(合計六〇〇万円)をそれぞれ借り入れ、営業収入とともに定期積金として王子信金に預金したり、一部を生活費に充てたりしていた旨主張する。
しかして、《証拠省略》によれば、原告は、異議申立てに対する調査の際に、右調査を担当した松尾係官に対し、原告作成名義で露崎芳雄に宛てた昭和五〇年一〇月五日付け一五〇万円、昭和五一年四月二六日付一五〇万円、昭和五二年八月三〇日付一〇〇万円、昭和五三年三月二五日付二〇〇万円の各借用書の原本を示して、右各借用書に係る借入金の存在を申し立てたので、松尾係官が昭和五五年六月二三日に露崎芳雄について調査したところ、同人は、右各借用書に係る金員を原告に無利息で貸し付けた旨原告の右申立てに沿う申述をしたものの、右金員のほかに借用書を作成しないで貸し付けた金員が五〇〇万円あるとしながら、その貸付時期について前後矛盾したことを述べたり、また、借用書については、原告からの申出があったので貸付の都度作成したとしながらも、その原本を原告が所持している理由については何も答えなかったこと、東京国税局係官が、露崎芳雄の死後、同人の妻露崎鍵子、長男露崎勇及び露崎芳雄が経営していた共同建設有限会社の業務部長塩野憲治について調査したところ、同人らは、共同建設有限会社の金銭及び露崎芳雄個人の金銭は露崎鍵子の管理下にあって、同人の知らない間に露崎芳雄が多額の金員を動かすことはなく、露崎芳雄が原告に右各借用書に係る金員を貸し付けたことはなかった旨、また、右各借用書は、昭和五五年三月ころ、露崎芳雄が原告に依頼され、共同建設有限会社の事務所で塩野憲治に命じて一括して作成させた架空の借用書であり、その原本は原告が持ち帰ったが、金員の授受を伴っていないため、そのことに敢えて異を唱えなかった旨申述をしたこと、右各借用書の借入額に相当する金員が、その作成日付ころに原告の王子信金に対する普通預金口座(別表第四の順号1ないし3)に預け入れられたり、原告の王子信金に対する借入金の返済に充てられたりした形跡はない上、原告の係争各年分の各決算書の資産負債調の借入金科目欄にも右各借用書に係る借入金に相当する借入金の記載がなく、さらに、原告は右各借用書に係る借入金の返済を現在に至るまで全くしていないこと、を認めることができる。
そして、右認定に係る右借入金についての原告の申立てや露崎芳雄の申述には、曖昧で不自然な点が多く見られるのに対し、露崎鍵子、露崎勇及び塩野憲治の申述にはかかる点が見られない上、原告が右各借用書の原本を所持していることとも符合し、さらに、原告の側に右借入金を受け入れた形跡が全く見られないことに徴すると、右借入金については、原告と露崎芳雄とが通謀して、架空の借用書を作成し、口裏を合わせるなどして、これが存在するかのような外形を作出した架空のものであって、真実は存在しないものであると認めることができる。
右の点に関し、《証拠省略》中には、右借入金に関し、原告が王子信金から本件建物の取得資金、その改造資金、「レストランオレンジ」の取得資金等の融資を受けるに当たり、その返済方法として、王子信金に毎月定額の定期積金をし、その満期時に融資金の返済に充てる方法を取ることにして、毎月定額の定期積金を行っていたところ、融資金の増加につれ定期積金の額も増加して、その資金に不足が生じ、露崎芳雄から主張の借入をしてこれに充てたものであって、定期積金に入金するまでは原告が自宅で保管していたとする供述部分や、露崎芳雄は常時三〇〇万ないし五〇〇万円程度の大金を身につけて所持していたとか、右各借用書は原告が税務調査を受けたので借入金の存在を明確にしようとして露崎芳雄に作成を依頼し、露崎芳雄が塩野憲治に命じて作成したものであるが、露崎芳雄が原告に持ち帰るよういったので原告が原本を所持しているとか、原告は露崎芳雄が死亡する前に同人から右借入金は返済をしなくてもよいといわれ、また、同人の死亡後、その遺族である露崎鍵子や露崎勇との間に金銭をめぐる紛争があったため、現在に至るも右借入金を返済していないとか供述する部分があるが、《証拠省略》に照らし、又は供述の内容自体が不自然であって、いずれも措信することはできない。
c また、原告は、西口楢敏から、昭和五一年七月二五日に一〇〇万円、昭和五三年二月二五日に一〇〇万円、同年三月三〇日に一〇〇万円(合計三〇〇万円)をそれぞれ借り入れ、営業収入とともに定期積金として王子信金に預金したり、一部を生活費に充てたりしていた旨主張する。
しかして、《証拠省略》によれば、原告は、異議申立てに対する調査の際に、松尾係官に対し、昭和五一年及び昭和五三年に奈良県に居住する西口楢敏から各一〇〇万円宛てを借り入れている旨申し立てたので、松尾係官が昭和五五年六月二四日に西口楢敏について調査したところ、同人は、昭和五一年及び昭和五三年に原告に各一〇〇万円宛てを無利息で貸し付けた旨原告の右申立てに沿う申述をし、さらに、その貸付資金は自己の金員に不足分を知人から借りて充てたとし、また、借用書は右各貸付の際には作成せず、昭和五五年五月一四日に橿原公苑体育館で右各貸付に係る借用書二通(昭和五一年七月二五日付け及び昭和五三年二月二五日付け。)を受領したとも申し述べたこと、原告主張の各借入額に相当する金員が、その作成日付ころに原告の王子信金に対する普通預金口座(別表第四の順号1ないし3)に預け入れられたり、原告の王子信金に対する借入金の返済に充てられた形跡はない上、原告の係争各年分の各決算書の資産負債調の借入金科目欄にも右主張に係る各借入金に相当する借入金の記載がないこと、西口楢敏の申告所得額は昭和五二年分が五五万五一一一円であるほか、その前後の年分においても同様に低額であったこと、を認めることができる。
そして、右認定事実によれば、原告主張の西口楢敏からの借入金のうち、昭和五三年三月三〇日付けの一〇〇万円については、借用書もない上、異議申立てに係る調査の際の松尾係官に対する原告の申立て、西口楢敏の申述においていずれも触れられていなかったこと、その余の二〇〇万円については、各借用書の作成時期が借入時から二年以上も後で、松尾係官が原告の申立てに基づき西口楢敏について調査をする直前であること、昭和五一年ないし昭和五三年当時の西口楢敏の申告所得額は低額であって、右貸付をする資力に疑問があり、また、不足分の調達先についても曖昧であること、原告の側に右借入金を受け入れた形跡が全く見られないことが認められ、これらの事実を総合し、さらに、右bのとおり、原告が露崎芳雄に対する架空の借入金の存在を申し立てた事実を併せ考えると、西口楢敏に対する右借入金についても、原告と西口楢敏とが通謀して、架空の借用書を作成し、口裏を合わせるなどして、これが存在するかのような外形を作出した架空のものであって、真実は存在しないものであると認めることができる。
なお、右の点に関し、《証拠省略》中には、前記露崎芳雄からの借入金についてと同様、原告が王子信金から本件建物の取得資金、「レストランオレンジ」の取得資金等の融資を受けるに当たり、その返済方法として、王子信金に毎月定額の定期積金をし、その満期時に融資金の返済に充てる方法を取ることにして、毎月定額の定期積金を行っていたところ、融資金の増加につれ定期積金の額も増加して、その資金に不足が生じ、西口楢敏から主張の借入をしてこれに充てたものであって、定期積金に入金するまでは原告が自宅で保管していたとする供述部分や、昭和五一年七月二五日付け及び昭和五三年二月二五日付け各一〇〇万円の借入金に係る借用書の作成経過につき、原告が、昭和五五年四月に西口楢敏の妻から、西口楢敏の他に対する一〇〇万円の支払を原告が立て替えることで右二〇〇万円の借入金のうち一〇〇万円を返済するよう求められた際に、それができなかった申し訳として、花子に命じて右各借用書を作成し、同年五月一四日に西口楢敏に渡したものであるとか、昭和五三年三月三〇日付けの一〇〇万円の借入金については、西口楢敏から振込送金を受けたものであるが、同人がその妻に秘して貸し付けていたものであるから、他の二件の借入金について借用書を作成した際にも、右借入金については借用書を作成しなかったものであるとか供述する部分があり、また、証人西口楢敏の証言中には、昭和五一年七月二五日及び昭和五三年二月二五日に、いずれも手元にあった金員に不足分を妻から用立てて貰って各一〇〇万円を原告に貸し付け、同年三月三〇日には、同日、西口楢敏が興行主として橿原公苑体育館で開催した新日本プロレスリング株式会社のプロレスリング興行が大入りだったので、その会場で、収益金中から一〇〇万円を妻に秘して貸し付けたとか、松尾係官の調査を受けた際は、妹が同席していたので、妻に秘して貸し付けた昭和五三年三月三〇日付けの一〇〇万円の貸付金については申述しなかったとか供述する部分があるが、《証拠省略》(右証拠によれば、新日本プロレスリング株式会社と橿原公苑体育館におけるプロレスリング興行契約を締結したのは原告であり、興行日は昭和五三年三月一五日であることが認められる。なお、《証拠省略》中には、原告がプロレスリング興行に関し西口楢敏に名義貸しをしていた旨供述する部分があり、これを信用するとしても、右契約に係る興行の一五日後の同月三〇日に同一場所で再度の興行をしたものとは考え難い。)に照らし、又は供述の内容自体が不自然であり、相互に矛盾する部分もあって、いずれも措信し難い。
また、《証拠省略》によれば、原告は、西口楢敏又は同人が経営する昭和設備工業宛に昭和五七年二月二四日に三〇万円、昭和六〇年二月二日及び昭和六一年一〇月三日に各五〇万円を送金している事実が認められるが、《証拠省略》中の右送金が原告主張の西口楢敏に対する借入金の返済であるとする部分は、《証拠省略》に照らし、また、右送金が主張の借入日から数年を経過して初めて開始されていることに徴して、措信し難い。
d 右aないしcによれば、昭和五〇年ないし昭和五三年の各一二月三一日現在の原告の借入金残高は、別表第五の該当欄記載のとおりであり、係争各年の期首及び期末における原告の借入金は、別表第三の一ないし三のとおりとなる。
(3) 調整項目加算額
ア 別表第三の一ないし三の調整項目加算額中、生活費及び家事関連費を除くその余の項目に係る金額は当事者間に争いがない。
イ 生活費の額について
a 原告の生活費の額について、総理府統計局発行の家計調査年報の第二表「都市階級・地方別一世帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部における一所帯の消費支出額に基づく推計により算出すること、及び、右推計の過程で、同表の平均所帯人員数と原告の所帯人員数との相違に基づく修正をするに当たり、原告の所帯人員数を同表の平均所帯人員数で除した割合と同一割合で生活費の額が増加するものとする処理をすることについて合理性が認められることは、右(二)の(2)のとおりである。
しかして、原告の所帯人員が、昭和五三年二月までは原告、花子、一郎、春子、二郎、松夫の六名、同年三月以降は松夫を除く五名であったことは右(二)の(2)のアのとおりであり、《証拠省略》によれば、家計調査年報の第二表「都市階級・地方別一所帯当たり年平均一か月間の収入と支出(全所帯)」の大都市の部における所帯人員は、昭和五一年が三・八二人、昭和五二年が三・七八人、昭和五三年が三・七五人であること、一か月当たりの消費支出額は、昭和五一年が一八万七八一四円、昭和五二年が二〇万二三〇七円、昭和五三年が二一万五九九六円であること、右消費支出額中の住居費のうちの家賃地代額は、昭和五一年が六九八三円、昭和五二年が八一六三円、昭和五三年が八五二四円であること、昭和五一年の消費支出額中の住居費のうちの設備修繕代が二七三八円であることが認められるところ、右一のとおり、原告は昭和五一年八月までは本件借家に居住し、同年九月以降は原告宅に居住しているから、その生活費の額の推計に当たっては、右消費支出額から、昭和五一年八月までは住居費の中の設備修繕代を、同年九月以降は家賃地代額を除くべきであり、また、後記ウのaの②のとおり、家事関連費の項目中に、昭和五一年八月までの家賃額(本件借家の自宅供用部分に係る金額)を計上しているので、同月までの家賃地代額も除いて、原告の係争各年の生活費の額を算出すると、別表第六のとおり、昭和五一年については三三七万三九二七円、昭和五二年については三六九万七九八〇円、昭和五三年については三四三万〇二〇〇円となる。
b 原告は、松夫が昭和五〇年ころから生活費の負担として一か月二万円を花子に手渡していた旨主張し、また、松夫は、同年ころまでに海外旅行費用や自動車購入資金等として総額一〇〇万円程度を原告から借り入れていたが、同年一二月ころからは、その返済金と右の生活費の負担とを併せ、毎月平均五万円程度を花子に手渡すようになったとも主張する。
しかして、《証拠省略》によれば、原告は、異議申立てに対する調査の際に、松尾係官に対し、係争各年中に原告が松夫に対する貸付金の返済を受けた旨申し立てたので、松尾係官が昭和五五年六月一九日に松夫について調査したところ、松夫は、昭和四三年四月に株式会社丙川に勤務し、同月から昭和五三年二月まで原告方に同居していたが、その間に、昭和四八年にしたカナダへの旅行の費用約五〇万円のうちの約半額、昭和四九年から昭和五〇年までの間にした四回の東南アジア旅行の費用一回当たり約二〇万円のうちの一〇万ないし二〇万円程度を花子から借り入れ、昭和五〇年一二月ころから昭和五三年二月まで月平均四万ないし五万円を花子に手渡して返済していた旨申述したが、借入金の総額は書面等の記録がないから分からないとも述べ、また、昭和五三年二月までに借入金全額を支払い終わったのか否かについても曖昧な答え方をし、さらに、調査の途中で右の月平均四万ないし五万円の支払金中には、原告方で同居していた部屋代及び食事代も含まれる旨申述を変更したが、他方、部屋代及び食事代は昭和五一年八月まで負担して貰っていたとも述べており、いずれにせよ、昭和五〇年一二月以前から部屋代及び食事代の支払ないし生活費負担をしていた趣旨の申述はなかったこと、また、松夫に対する貸付金額については、原告もこれを明確にしなかったことが認められるところ、右の松夫の申述は、原告方へ同居していた時から二年余しか経過していない時期にされたものであるにもかかわらず、借り入れたとする具体的な金額や返済によって消滅した債務額が極めて曖昧である上、支払金の趣旨についても借入金の返済なのか部屋代及び食事代の支払を含むのか一貫しないだけではなく、部屋代及び食事代の支払を含むとすれば前後矛盾する部分もあり、また、仮に支払金中に部屋代及び食事代の支払ないし生活費の負担の趣旨が含まれているとすれば、就職後七年余も経て、しかも、係争各年の直前である昭和五〇年一二月から支払い始めたとすることも極めて不自然であり、原告自身が松夫に貸し付けたとする金額を明確にしなかったことをも併せ考えると、原告の松夫に対する貸付及び松夫の返済並びに松夫による生活費の負担は、いずれも原告又は花子と松夫とが通謀して作出した架空の事実であり、真実は存在しないものと認められる。
右の点に関し、《証拠省略》中には、松夫は昭和五〇年当時から生活費の負担として毎月約二万円を花子に手渡していたところ、花子が松夫に対し、昭和五〇年ころに松夫がカナダへ旅行するに際して二五万円を、昭和五〇年以前に松夫が東南アジア及び沖縄に計四回旅行した際にそれぞれ一〇万円宛を貸し付け、さらに松夫が中古自動車を購入した際にも貸付をして、貸付金が総額一〇〇万円程度となったので、松夫は昭和五〇年一二月から昭和五三年二月まで、生活費の負担分二万円と右貸付金の返済とを併せ、毎月平均四万ないし五万円を花子に手渡していた旨供述し、さらに、花子は自己の事業専従者給与を蓄えて手許で保管していた現金のうちから松夫に対する右貸付金を支出し、松夫から受領した金員は生活費に費消したとも供述する部分が存在する。しかしながら、右各供述部分は、松夫に貸し付けたとする具体的金額や松夫から受領したとする具体的金額が必ずしも明確ではなく、しかも、昭和五〇年当時から生活費負担金を受領していたとする部分は松夫の松尾係官に対する前記申述と一致しない上、多額の現金を手許で保管していた等不自然な部分もあって、いずれも措信し難い。
c そうすると、係争各年の調整項目加算額に算入すべき生活費の額は、右aのとおり、昭和五一年分については三三七万三九二七円、昭和五二年分については三六九万七九八〇円、昭和五三年分については三四三万〇二〇〇円であって、別表第三の一ないし三のとおりとなる。
ウ 家事関連費の額について
a 昭和五一年分
① 抗弁3の(三)の(2)のエのaの①及び②の金額については当事者間に争いがない。
② 同③のうち、本件借家の昭和五一年分支払家賃額が二八万円であることは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》によれば、本件借家のうち自宅供用部分の割合は三分の一であると認められるので、右支払家賃額のうち右割合に対応する九万三三三三円は家事関連費として、調整項目加算額に加えるべきである。
③ 右①及び②によれば、昭和五一年分の家事関連費は九五万三七四九円であって、別表第三の一のとおりとなる。
b 昭和五二年分及び昭和五三年分
抗弁3の(三)の(2)のエのb及びcの各①及び②の金額については当事者間に争いがないから、昭和五二年分の家事関連費は九二万九九〇五円、昭和五三年分の家事関連費は七五万九四二一円であって、別表第三の二及び三のとおりとなる。
(4) 調整項目減算額
別表第三の一ないし三の調整項目減算額中の各項目に係る金額は当事者間に争いがない。
(5) 原告の推計金額の修正の主張(予備的主張)について
ア 原告は、露崎芳雄からの合計六〇〇万円の借入金及び西口楢敏からの合計三〇〇万円の借入金を係争各年の王子信金に対する定期積金の資金の不足額に充当していたから、右充当額に相当する金額を係争各年の資産の増減差額から減額すべきである旨主張するが、露崎芳雄及び西口楢敏からの右借入の事実が存在しないことは、右(2)のイのb及びcのとおりであるから、右主張は失当である。
イ 原告は、松夫が昭和五三年二月までの係争各年中に生活費の負担として毎月二万円を花子に手渡し、また、借入金返済として少なくとも毎月二万五〇〇〇円を原告に支払っていたので、原告の事業所得の金額から右生活費の負担の合計額及び返済金の合計額を減額すべきであると主張するが、松夫による生活費の負担並びに原告の松夫に対する貸付及び松夫の返済の事実がいずれも存在しないことは、右(3)のイのbのとおりであるから、右主張は失当である。
ウ 《証拠省略》によれば、係争各年中、原告に対し児童手当が支給されていたことを認めることができるところ、《証拠省略》によれば、原告は、係争各年中、長男一郎、長女春子及び二男二郎を監護し、かつ、生計を同じくしていたことが認められ、また、右(1)のイのbのとおり、一郎は昭和四二年九月四日生まれ、春子は昭和四五年七月一六日生まれ、二郎は昭和四六年一一月二一日生まれであって、いずれも係争各年中は一五歳に達していなかったから、原告に係争各年中に支給された児童手当の額は一月につき五〇〇〇円であったものと推認できる(児童手当法三条一項、二項(昭和六〇年法律第七四号による改正前のもの)、四条一項(昭和五六年法律第八六号による改正前のもの)、六条一項(昭和五三年法律第四六号による改正前のもの及び昭和五四年法律第三六号による改正前のもの))。
したがって、係争各年の調整項目減算額に、児童手当分として、それぞれ六万円が算入されるべきである。
エ 原告は、原告の生活費は年間約一〇〇万円であり、そのうち二四万円は松夫が負担していたから、係争各年の生活費のうち七六万円を超える部分は減額されるべきである旨主張するが、原告の生活費の額は右(3)のイのaのとおりであり、また、松夫が生活費の負担をしていた事実が存在しないことは同bのとおりであるから、右主張は失当である。
オ 原告は、原告の生活費の推計に用いた家計調査年報の消費支出額中に住居費が含まれているから、住居費及びその関連経費を内容とする家事関連費を係争各年の所得額から減額すべきである旨主張するが、家計調査年報の消費支出額を基礎に原告の生活費の額の算出をした際、右消費支出額中の住居費のうちの家賃地代額(昭和五一年八月までは住居費のうちの設備修繕代及び家賃地代額)を控除したことは右(3)のイのaのとおりであり、また、《証拠省略》によれば、家計調査年報の消費支出額中の住居費のうちのその余の項目は、右家事関連費の内容と重複するものではないことが認められるから、右主張は失当である。
(6) 以上によれば、原告の昭和五一年分の事業所得の金額は、別表第三の一の調整項目減算額中に児童手当分として六万円を加えるほかは、同表のとおり算出した五八一万一八一五円であり、昭和五二年分の事業所得の金額は、別表第三の二の調整項目減算額中に児童手当分として六万円を加えるほかは、同表のとおり算出した八〇七万〇〇五一円であり、昭和五三年分の事業所得の金額は、別表第三の三の調整項目減算額中に児童手当分として六万円を加えるほかは、同表のとおり算出した七七四万一九五六円である。
4 右2及び3によれば、原告の昭和五一年分の総所得金額は六〇七万六一一五円、昭和五二年分の総所得金額は八三二万四七四三円、昭和五三年分の総所得金額は七九四万五四一九円であるところ、本件各更正に係る総所得金額は、それぞれ、右の昭和五一年分、昭和五二年分及び昭和五三年分の各総所得金額の範囲内であるから、五一年分更正、五二年分更正及び五三年分更正はいずれも適法である。
五 本件各賦課処分の適法性
1 五一年分賦課決定
五一年分更正により原告が納付すべき税額は七一万四〇〇〇円(昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法一一八条三項により一〇〇〇円未満の端数切捨て)であるから、右改正前の同法六五条一項により、右税額に一〇〇分の五を乗じて算出した三万五七〇〇円の過少申告加算税を賦課した五一年分賦課決定は適法である。
2 五二年分賦課決定
五二年分更正により原告がさらに納付すべき税額は九一万四九〇〇円であるから、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項により、右税額のうち八五万七〇〇〇円に一〇〇分の五を乗じて算出した四万二八〇〇円(右改正前の同法一一九条四項により一〇〇円未満切捨て)の過少申告加算税を賦課した五二年分賦課決定は適法である。
3 五三年分賦課決定
五三年分更正により原告が納付すべき税額は一三二万三六〇〇円であるから、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項により、右税額のうち一二九万円に一〇〇分の五を乗じて算出した六万四五〇〇円の過少申告加算税を賦課した五二年分賦課決定は適法である。
六 よって、原告の本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 石原直樹 深山卓也)
<以下省略>